大津絵美術館・円満院  他の美術館一覧
                            所在地 〒520-0036
                                                           TEL 059-22滋賀県大津市園城寺町33
                                                                                    
                                                                   訪問日 2019年11月21日

大津市の観光の記事を見ていた時、大津市歴史博物館、三橋節子美術館、などとともに、三井寺の中にある門跡寺院の円満院に大津絵美術館があることを知りました。
大津絵と言う絵があることは知っておりましたが、写真以外実物は見たことがありませんでした。
そこでここに行くことにしたのですがあまり大きな美術館ではなさそうでしたので、三井寺の境内も久し振りに散策することにし、境内の見どころを調べてみると以前はなかった『文化財収蔵庫』ができていることがわかり、ここも予定に入れました。
昼食前に三井寺に着くので、円満院の中にある宿坊『三密殿』で昼食をとることにし、予約を済ませて自宅を出ました。
実際に行ってみると、大津絵美術館も三井寺文化財収蔵庫も予想通りきわめてコンパクトな施設でした。
円満院門跡の門跡とは、元来は〈一門の法跡〉の意で,法統を継ぐ寺院の主たる僧をさしたそうです。
のち宇多天皇が仁和寺(にんなじ)で出家,仁和寺を御門跡と称して以来,皇族・公家などが出家して代々入寺する寺院の寺格を示す称号に転化したもののようです。
 江戸時代には幕府が宮門跡(法親王の居住する寺院)・摂家門跡(摂関家の子弟が居住する寺院)・准門跡(門跡に准ずる寺院)と区別し制度化しましたが、  1871年(明治4)この制度は廃止され、以後私称として用いられています。
 三井寺では円満(えんまん)院、聖護(しょうご)院、岩倉実相(じっそう)院の三門跡は三井寺の長主を兼ねるので「三井の三門跡」と呼ばれます。  また門跡寺院は、天台、真言(しんごん)、法相(ほっそう)、浄土、真宗などの各宗にわたってあります。




仁王門

寺標(園城寺)

金堂

三井の晩鐘

三井の晩鐘

三井の晩鐘

弁慶の引摺り鐘

弁慶の引摺り鐘

東院

東院前の参道

円満院内にあった釣鐘


大津絵は、東海道、逢坂関の西側に位置する近江国追分(髭茶屋追分)を発祥の地とされています。
寛永年間(1624- 1644年)のころに仏画として描かれ始め、当初は信仰の一環として描かれたものでしたが、やがて世俗画へと転じ、加えて18世紀ごろより教訓的・風刺的な道歌を伴うようになりました。    
松尾芭蕉の俳句「大津絵の筆のはじめは何佛」には、仏画が多かった初期の大津絵の特徴が表れています。
江戸時代を通じ、東海道大津宿の名物となり、東海道を旅する旅人たちの間の土産物・護符として知られていたものです。

この美術館は昭和46年、円満院の門主が所蔵してきた大津絵など古今の作品を広く公開する場として開館されました、設立にあたり全国より寄贈を受けた作品も多数収蔵されています。
大津絵がどういうものかという事については、私が書くより、大津絵の保存・維持に努力された4代目高橋松山氏(大津絵の店店主)の文章(ここをクリック)の方が良く分かると思います。 
なお4代目高橋松山は昨年(2018年8月)逝去され現在は5代目高橋信介氏が継いでおられます。



展示室 展示品のない状態
上の部屋の中に、壁、欄間、ショーケースの中に一面に展示されていた
写真内の個々の作品をクリックすると拡大表示されます・
作品のない部分をクリックすると全体が拡大表示されます。
一部の写真は全体拡大表示だけのものもあります。

展示の状態
   
粉本とは有名画家などのの原図をもとに模写・縮小などをして絵の修行
に使われたものですが、この粉本は丸山応挙が修行中この円満院に滞在
した約10年間の間に描いたもので、この寺に集った当時の文化人たちに
使われたそうです

美術館で購入したはがきの絵



宸殿は入母屋造、杮葺。当初は元和5年(1619年)に2代将軍徳川秀忠と御台所江姫の五女・和子(東福門院)が後水尾天皇に入内した際に禁裏に造営されたものと伝わるものです。
その後正保4年(1647年)になって和子所生の明正天皇によりこれが円満院に下賜されて同地に移築されたもので、1902年(明治35年)には国の重要文化財に指定されました。
間取りは南北2列の計6室からなり、北西に位置する一の間には後水尾天皇が座ったと伝わる御座もある。各室には狩野派による障壁画が描かれていましたが、 今日見られるものは複製で、原本の障壁画は京都国立博物館に収蔵されています 。
ネットの記事によると『2009年(平成21年)5月、重要文化財に指定されている宸殿など建物9棟と庭園など土地約1万4000平方メートルが大津地方裁判所によって競売にかけられ、  約10億6700万円で滋賀県甲賀市内の宗教法人大岡寺に落札されていたことが判明した。  この競売にともない、同年8月20日には円満院の所有権をこの宗教法人に移転する法的な手続きが   完了した。』とのことです。
 このようなことになった経緯はわかりませんが、大岡寺(ダイイコウジ)は滋賀県甲賀市水口町京町にある天台崇の由緒ある古刹のようで、裕福な寺ではないようですが、文化財の維持保存には心配がないようです。


宸殿(重要文化財)への通路

狩野派による障壁画、ここに見られる
ものは複製で、原本の障壁画は
京都国立博物館に収蔵されている

後水尾天皇が座ったと伝わる玉座

同左

投扇の間
投扇興(とうせんきょう)の間

庭園

同左

同左


園城寺に伝わってきた多くの文化財を広く公開するために最近開館した収蔵庫です。
しかし、古い大寺のわりに展示されてる文化財の数はそれほど多くありませんでした。
館内での写真撮影は出来ませんでしたので、撮影したのは館外で撮影した展示品の内の国宝の文書2枚のみです。
その他の画像は三井寺のホームページからです。
ホームページにはここに展示されているものほか、境内の建造物、仏像、秘仏、絵画、工芸品、古文書など、国宝10点、重要文化財52点などが紹介されています。





展示されていた文書(国宝)
下段の文書二通は智証大師が唐に
渡られた時の中国国内の通過許可証
ですが、現在実物が残っているのは
世界中でこの二通のみのようです

左写真右下部拡大
上段 越州都督府発行の許可書
下段 尚書省司門過所
発行に許可書
・国宝 唐時代(大中九年 855)
・紙本墨書 一通 30.7×62.2


金色不動明王座像(国宝)

十一面観音立像
重文 平安時代

訶梨帝母倚像
重文 鎌倉時代

智証大師座像
平安時代後期

不動明王坐像
重文 平安時代

護法善神立像
重文 平安時代

弁慶鐘
重文 奈良時代

円珍俗性系図
国宝 平安時代

伝燈大法師位位記
国宝 平安時代

制誡文
国宝 平安時代

感夢記
国宝 平安時代

開元寺求法目録
国宝 大中七年

孔雀文馨
重文 平安時代


予約してあった精進料理をいただいた。
どこでも同じだと思いますが、ここも宿泊が主のようで食事だけの人のは少ないようです。
食事を頂いた場所は修行中の坊さんが食事をする場所のように、だだっ広くて少々寒々としていました。
精進料理だから仕方ないと思いますが、見た目はきれいに出来ていますが少し物足りない料理でした。
ここで食事をすると、大津絵美術館と宸殿・庭園を無料で参観できました。


三密殿 食堂

精進料理なのに酒

本日のメニュー