愛知県陶磁美術館    その他の美術館一覧
                              所在地 〒489-0965 愛知県瀬戸市南山口町234
                                                           TEL 0561-84-7474
                                                            訪問日 2018年11月8日


 愛知県陶磁美術館へ私たちが訪問した日、美術館では開館40周年記念特別企画展「瀬戸‐かく焼き繋ぎ 江戸時代の本業と新製」を開催していました。
学芸員さんから説明を聞きながらの鑑賞でもあり、展示品も今回の企画展のために各所から借り受けたものも多く、解説に納得しながら興味を持って回ることが出来ました。
40周年ということで特に力を入れて纏められたと思いますがよい展覧会でした。

この美術館はいまから40年前(1978年)、愛知県陶磁資料館として開館され、5年前(2013年)に現在の名称に改称されました。
その経緯については美術館のホームページに次のように述べられています。

愛知県陶磁資料館は、陶磁史上における愛知の位置に鑑み、日本における最大級の窯業地である愛知県瀬戸市に、愛知県政100年記念事業として1978(昭和53)年6月1日に開館しました。以降、日本やアジアを始めとする世界各地の様々なやきものの魅力を展覧会や関連催事を通じて紹介してまいりました。コレクションは3点の重要文化財を含む7,020点(平成27年3月末)となり、国内屈指の陶磁専門ミュージアムとして成長しております。2013(平成25)年6月1日に35周年を迎えたことを期に「愛知県陶磁美術館」に名称変更し、再出発いたしました。

こういったこの美術館の設立・成長の経緯からかと思いますが、これまで訪問した多くの美術館とはかなり異なり、展覧会はこの美術館の実施する事業の一つであって、それ以外にも同様に重要と考えて推進している事業が多いように思いました。
企画展は本館で開かれますが、常設展は本館で開かれている「日本と世界のやきもの」、「現代陶芸‐
愛知の作家たち、「堀田毅コレクション展」のほかに、南館の「愛知のやきもの『今』」、「愛知のやきもの1万年」、さらに西館で 「陶磁のこま犬百面相」を開催しており常設展が非常に充実しているように思います。
この他、作陶、絵付けの体験ができる作陶館、敷地内で発掘された平安時代~鎌倉時代の窯跡を保存する古窯館、室町時代の大窯と江戸時代の連房式登窯を復元し、焼成体験もできる復元古窯などがあり、見る施設、体験する施設など充実しています。
またこの美術館の敷地面積は280.480.47㎡と大変広く、先日訪問した岐阜県現代陶芸美術館も広いと思いましたが、その5割増くらいの面積で、ほとんどすべて平地ですので山中にある岐阜県現代陶芸美術館よりはるかに広く感じます。



この美術館は明確な特徴がないことが特徴といえるかと思います。
やきものの収蔵方針も特定の時代、種類、地域、作者などに絞らず、日本の物では、縄文、弥生、古墳、奈良時代から江戸、近現代陶磁まで幅広く収集し、海外の物も中国、韓国、東南アジア、中近東、ヨーロッパ、近現代海外産業陶磁、近現代海外陶磁など収集しています。
美術館では普通は企画展が最大のイベントのように思いますが、ここではそのほかに常設展などで焼き物技術の歴史的な進展、古代の人々の生活とのかかわり、現在の生活とのかかわりなどを展示、作陶体験などにも力を入れ、焼き物を作る人、使う人のやきものについての知識の幅を広げることも企画展以上に力を入れて進めようとしています。






最寄り駅はリニモ陶磁資料館南駅

敷地は大変広く健脚向きです

本館
この中に7つの展示室と
特別展示室などがある

本館西面

本館中庭

南館

西館

古窯館

復元古窯
ここでは実際にこの窯を使って
焼成体験ができます


初めに今回の企画展についての学芸員の説明があり、そのあと展示品の解説をしていただきながら回りました。
解説をしていただける時間が30分間と短かったことと、個々の作品についての質疑応答もの時間もあったので、残念でしたが解説をしていただいたものはごく一部でした。
聞きなれない”本業”と”新製”という言葉につて、その意味は下の美術館の説明の通りなのですが、学芸員の方の説明によりますと、やはり磁器生産が始まったころは陶器生産に携わっていた人々の危機感が大きく、陶器の技法で磁器同様の外観の物を作ろうという努力がされたとのことです。
そうした努力の末、制作されたものも展示されていましたが、特別企画展に出品されている作品には、この企画展のために特別に借用しているものもあるので、写真は遠慮してほしいとのことでパンプレット以外の画像はありません。

美術館のホームページには下記のように書かれています・
展覧会の概要
瀬戸においては、江戸時代を迎えると尾張藩の保護の元、まず陶器生産が盛んとなります。その後、新たに、 江戸時代後期の享和年間(1801-04)に有田地方から技術が導入された磁器生産が本格的に開始され、時流に乗って徐々に拡大しました。

それにより陶器製作者たちは、従来より行ってきた陶器生産を本来の仕事という意味、さらに、それに対する自負を込めて、 自らの仕事を「本業」と呼び、磁器生産は「新製」と呼び分けることとなりました。その後、「新製」は、ますますリードを広げ、 明治時代には、工芸品の海外輸出が本格化する中で、瀬戸の磁器製品は世界を舞台に脚光を浴びました。瀬戸ではこのように、 時に二つに分かれ競い合い、「焼き繋いで」現在の姿を形作ったのです。
本展は江戸時代を通して瀬戸の本業と新製を取り上げ、その代表的作例、記年銘のある作品などを展示し、 現在の窯業地・瀬戸の礎となったやきものづくりを紹介するものです。






上半分と下半分が別々に
拡大表示されます

背景は消してあります
[絵画資料]
瀬戸陶業之図
亀井半二
天保十四(1843)年(19世紀)
個人蔵
名古屋を中心に活躍した絵師の
亀井半二が 瀬戸の窯場の風景を
詳細に描いたものである。
そこにはまさに本業と新製の時代に
生きた 人々がそれぞれの役割に
従って働く 瀬戸ならではの姿が
リアルに描かれている。

[本業]
麦藁手片口
瀬戸
江戸時代後期(19世紀)
個人蔵
瀬戸は江戸時代をとおして、
様々なくらしの器を作り続けた。
麦藁手は、江戸時代後期に流行し、
現在でも人気の高い文様で、
縦方向に連続して線文を引いた
ものである。
本品では鉄(2色)と呉須(1色)の
3種の線を交互に引いている。

[新製]
染付唐草文茶臼
瀬戸 加藤吉右衛門
江戸時代後期(19世紀)
個人蔵
瀬戸の新製(磁器)の名品。
大変珍しい。
茶を挽くという性質から重い粘土の
塊である茶臼を破損することなく
焼成することは、非常に難しいが、
本品は破損、変形もない。
その上、器体全面に描かれた
唐草文が繊細で見事である。

[新製]
瑠璃釉貼付稲穂雀文鉢
瀬戸 瀧藤萬次郎
明治時代前期(19世紀)
宮内庁蔵
明治期の新製(磁器)の大型植木鉢の
優品。
当時の皇居の宮殿内で実際に
用いられていたと推測される。
瑠璃釉と貼付文の精巧さは、
瀬戸の優れた技術をうかがわせる。
本作は名古屋の陶器商・瀧藤萬次郎が
明治26(1923)年にシカゴ万国博覧会で
配布した引札(広告)にも登場しており、
同社が国内外に誇る最高級品であった
ことがわかる。


[新製]
獅子座文殊型香炉
瀬戸 川本半助(六代)
明治時代中期(19世紀)
宝泉寺蔵

[本業]
染付太鼓胴花生
外山(戸山)焼
江戸時代前期(17世紀)
東京国立博物館蔵
戸山焼は、尾張藩江戸藩邸の
戸山下屋敷で作らせた御庭焼であり、
瀬戸から陶工を招請し、
また土を取り寄せて製作された。
大きく開いた四方形の開口部や
太鼓胴、猿の人形などの造形には
緊張感があり、
また染付で頸部に葵紋、
太鼓胴には巴文を描いている

瀬戸窯風景
[絵画資料]
小田切春江 
瀬戸市蔵





本館特別展示室では開館40周年記念テーマ展示として「愛知うつわ物語―江戸・明治のやきものの展示がありました。
愛知県では現在『愛知県史58巻』の編纂を進めていますが、 陶磁美術館のホームページには以下のように記載されています。
陶磁美術館は平成30年度に開館40周年を迎えることから、同年度は「愛知」を視点の一つとした企画展示を順次開催します。本展では、これに『愛知県史・工芸』の刊行を併せて記念し、愛知県における近世・近代の陶磁工芸を展示紹介します。陶磁美術館所蔵品を中心に、県内各地域の陶磁工芸品が一堂に会する貴重な機会となります。地域の文化遺産である陶磁工芸を通じて、愛知県の歴史と文化について理解が深まることを目指します。

ここも写真は撮れませんのでネットにあった5枚だけです。
展示されていたものは、名古屋のやきもの、尾張のやきもの、三河のやきもの、狛犬、磁胎七宝などです。


色絵花蝶文鉢 
永楽和全 甲山 明治10年(1877)

摩竭(マカラ)文笹島焼
江戸時代後期

鉄釉水注 内海焼
明治19~24年

八ツ面焼 甕
加藤八右衛門 江戸時代後期

帆船文皿 古戦場焼
江戸時代末期





縄文土器・弥生土器・世界の土器

約40点の優品を選んだ名品コーナー

古墳から奈良時代

灰釉多口瓶

平安時代

重要文化財
葦鷺文三耳壺
平安時代末期 松永美術館寄贈
   

鎌倉時代ー南北朝時代

室町時代

同左

桃山時代


江戸時代
 

色絵美人人形
17世紀後半
 
先年アメリカのメトロポリタン美術館
に行ったとき、これと同じ型によると
思われる人形を見ました、
形は全く同じで着物の柄だけが
異なっていました。
ここをクリックすると両方が見えます
 

国産磁器の誕生
17世紀

江戸時代後期


江戸時代末期~明治時代

明治時代

同左

大正時代


多くの国、地方のやきものの歴史を知ることが出来るものが多く展示されていました。
主なところは鑑賞し、写真も撮りましたが、全体に何がどういうまとめ方で展示してあるかを理解しないで見ましたので、今このページをまとめているとまだ見るべきところがあったと残念に思っています。
もっと時間をかけてよく見れば本当に世界のやきものがわかるよい企画(常設展ですが)だったと思います。
それでも私には充分勉強になりました。







朝鮮のやきものは新石器時代から
今日まで約7000年にわたる長い歴史
を持っています。
新石器時代には素焼きの土器も作
られましたが原三国時代(前1世紀
~3世紀)には隣接する中国の影響
を受けて窖(あなぐら)窯を利用して
高温で焼いた本格的な焼き物の生産
が始まり、三国時代(4世紀~676年)
終わり頃の新羅で鉛釉をかけた施釉
陶器が作られました。
       <以下右へ>
10世紀になると中国の越州窯の
工人が朝鮮半島にわたって青磁の
技術を伝え、高麗青磁の生産が始
まります。11世紀後半から12世紀
には中国の最高の青磁『如窯』に
匹敵するような美しい青磁が作られ
るようになり、「秘色」青磁と呼ばれ
て国内外で高く評価されました。
朝鮮時代になると白磁が主流となり
宮廷用の陶磁器を生産する官窯が
広州に開かれ、上質の白磁、青花
白磁(染付)、鉄沙(鉄絵)などが
生産されました。
民窯では高麗青磁の流れを引く
粉青沙器や粗製の白磁も焼かれ、
素朴な雰囲気のやきものが各地で
作られました

朝鮮陶磁

白磁壺
韓国・朝鮮時代
広州官窯 18世紀後半

粉青線刻草花文篇壺
朝鮮半島 全羅道 18世紀前半

高麗青磁


高麗青磁




新石器の時代
1万数千年前~4000年前
中国では1万年以上前の新石器時代
初期に土器作りが始まった

殷から漢の時代
紀元前16世紀~紀元3世紀
世界で最も早く高温焼成施釉陶器が
作られたのは中国で、紀元前16世紀
頃には人工的に灰釉をかけた高温
焼成の原始青磁が江南で作られた

三国から唐の時代
三国時代から南北時代(3~6世紀)
に江南で青磁(古越磁)が発達し
多彩な形態に物が作られました
唐時代のなると唐三彩が出現し、
6世紀後半には白磁が生まれました

三彩枕      三彩豆
三彩印花花文椀 黄釉絞胎三足盤

緑釉楼閣
後漢(1~2世紀)

唐三彩 駱駝

灰陶加彩馬俑
前漢 前1世紀

三彩馬  唐 8世紀

三彩宦官俑  三彩女官俑
唐 8世紀

加彩女子俑
前漢時代前期 前2世紀

三彩鍑(サガリ)
中国 唐 8世紀
 
晩唐から5代の時代(8世紀~10世紀)
華北では白磁、華南では青磁が極度に
発達しまし、この頃から陶磁器の海外
輸出が本格化し、日本・韓国をはじめ
世界各地の窯業に大きな影響を
与えました
 
  宋の時代(10世紀~13世紀)
北宋の時代に入ると華北の白磁の
定窯、掻落技法の磁州窯、オリーブ
グリーン青磁の耀州窯、天青色青磁
の如窯など各地に莫大な数の窯が
開かれました。南宋では景徳鎮窯と
龍泉窯が大きく発達し海外に輸出
されました。南宋後期の13世紀には
龍泉窯で粉青色の青磁を焼成し、
日本では『砧青磁』と呼んで珍重
されました

龍泉窯と景徳鎮窯

       
   
青花
人物文水指
五彩
魚文盤
青花緑釉
龍文盤

      明から清の時代
  (14世紀後半~20世紀初頭)
明時代には景徳鎮に官窯が設けられ
青花磁器と五彩磁器が高度に発達
しました。明時代後期には福建など
でも生産され、特に福建南部の漳州
では輸出用の粗製の青花、五彩、
素三彩などが大量生産され世界各地
に運ばれました
         <以下右へ>
日本では漳州窯の青花、五彩を
『呉州染付』、『五洲赤絵』、素三彩を
『交趾』と呼び珍重しました。
龍泉窯青磁の輸出は明時代も続け
られましたが景徳鎮窯の青花磁器の
流行と反比例するかのように徐々に
質が低下し明時代末期にはほとんど
輸出されなくなりました。
明時代の末期から清時代の初めころ
(17世紀中頃)は中国国内の混乱の
ため、官窯の活動は停止しましたが
清朝の基盤が安定した康煕年間
(1662~1723)には再び優れた官窯
の青花や五彩磁器が作られるように
なりました。
康煕年間末には七宝技術を応用した
粉彩が開発され、様々な単色釉器も
作られるようになり、続く雍正、乾隆
年間には清朝磁器の最盛期を迎え
ました。

       クメールの陶器
クメール陶器は9~13世紀ころに
アンコール朝のもとで発展しましたが
中国の影響によるものとも独自の物
ともいわれますが明らかでは
ありません。

       ベトナムの陶器
ベトナム北部では中国の支配下に
あった1~3世紀ころから灰釉系の
陶磁器が作られましたが独立を
果たした直後の11世紀ころから
独自性を持った作品が作られるように
なりました
黄白釉陶器、白磁、青磁、緑釉、鉄絵
が生産され14世紀には青花(染付)が
生産され、輸出も盛んでした
 
タイの陶器
アンコール朝が13世紀ころに衰退す
ると、タイ族がタイ北部と中部にランナ・
タイとスコータイという王国を作り独自の
陶器を作るようになりました。14世紀
から15紀頃には鉄絵陶器、青磁が
生産されるようになりました
青く澄んだ上質の青磁と魚文などを
素朴に描いた鉄絵陶器はタイ陶磁の
代表です
サワンカローク窯の製品は世界各地に運れ
日本では宋胡録(スンコロク)の名で親し
まれました



ヨーロッパ陶磁の源流をたどると紀元前
3200年頃のエーゲ海に行き着きます
このエーゲ海に浮かぶクレタ島で紀元
前2000年頃に興った海洋文明はまた
優れた陶磁文明も持っていました
その陶磁文明は紀元7世紀ギリシャの
アテネで大きく花開き、生き生きとした
装飾を施した無釉陶器が大量に生産
され地中海全域に輸出されました
その後数世紀にわたって世界規模の
交易の中、イスラム陶磁や中国輸出
陶磁からその技術を学びながら発展
して行きました。一方18世紀中ごろに
イギリスで興った産業革命により陶磁
器はより廉価に大量に生産できるよう
になりました。そうした工業製品を生産
するために規格化が必要不可欠となり
そこから製品をデザインするという概念
が生まれてきました。
今日もなお陶磁器デザインの分野では
欧米諸国は世界をリードしています。
 
プレ・インダス文明の土器 4000年前
パキスタンのインダス川流域では前
2000年頃に世界4大文明の一つに
数えられるインダス文明が興りました
インダス文明以前のこの地域では前
7000年頃に麦作を中心とした農耕が
始まり紀元前4000年前半には土器の
製作が開始されました。
初期の土器にはロクロ作りの彩文土器
も見られますが多くは手つくねの粗製の
深鉢でした。これらが次第に発展して
土器作りの分業も進みました。
ここに紹介する彩文土器はインダス
文明が興る直前の紀元前2000年代
前半に作られたものでプレ・インダス
文明の土器とも呼ばれます。
ロクロ成形ののち様々な色の顔料で
文様を描いた精緻な土器です。
 
         中南米の土器
     約7000年前~4000年前
アメリカ大陸には遅くとも14000年ほど
前にはシベリアからベーリング海峡を
越えて人類が渡り短期間の間に南米
の最南端まで達しました。南米では
ブラジルで7000年前の土器が確認され
ている他エクアドルやコロンビアでは
5000年前頃には土器作りが始まって
います。
また遅くとも2500年ほど前にはペルー
でも土器が作られるようになりました。
ここではアンデス文明の中心地である
ペルーとその北のエクアドル、南の
ボリビア、中間領域である中米のパナマ
の土器を紹介します
 
        イランの土器
    約8000年前~約1400年前
イラン地域では1万年前頃に農耕・牧畜
を生業とする新石器時代に入りましたが
本格的な土器が作られるようになった
のはおおむね8千年ほど前です。
初めの頃は粗製の無紋土器でしたが
やがて褐色や黒色の彩文土器が現れ
ます。
紀元前5000年より少し前から前3000年
にかけての金石併用時代(銅石器時代
)にはイラン高原各地で特徴的な土器
が作られました。
前1200年頃には鉄器時代に入り西北
イランのギラーン地方では嘴形土器や
瘤牛などの形象土器が盛んに作られ
ました。
アケメネス朝(前6~前4世紀)には
施釉陶器も生産されましたが、土器は
長い間日常容器として使い続けられ
ました。

緑釉掻落鳥文鉢
イラン ガルス陶器 11~12世紀



黄地多彩鳥文鉢
イラン ニシャプール 9~10世紀



本館地下で『現代の陶芸‐愛知の作家たち』として明治初期から今日までの愛知の作家たちの作品が展示されていました。
展示されていた作品は愛知県陶磁美術館の所蔵品が主体でしたが、瀬戸陶芸協会、常滑陶芸作家協会などからの作品も混在しているため展示品の撮影はできませんでした。


本館地下展示会場

この美術館へは2日間かよいましたがそれでも南館と西館は見ることが出来ませんでした。
また改めて行こうと思っています。



     

明治以降の輸出陶磁器を中心に展示 万国博覧会参加の成功 内国勧業博覧会 輸出陶磁器の衰退 新しい流れ-芸術家としての陶芸家誕生- 再評価される輸出陶磁器 日本陶磁を海外へ 窯業地の発展 上絵付業の確立 万国博覧会参加の成功 有田焼 石目焼 粟田口焼 万古焼 名古屋焼 西浦焼 九谷焼 花鳥図花瓶 上絵金銀彩花鳥図大花瓶 金盛ジュール植物図大花瓶 ポートレート婦人図飾壺 能見宿禰力士像 上絵金彩武者図花瓶 上絵草花文双耳花瓶 盛上網文葡萄図花瓶 陶磁器類聚花瓶 高浮彫鯛蟹蛯貝花瓶 上絵金彩陰刻風神図花瓶 仁清意能舞置物 高浮彫鷲襲群猿大壺 釉彩鷺竹花瓶(一対) 高浮彫鳩桜花瓶
瀬戸陶業之図 上半分 瀬戸陶業之図 下半分 三島写(藤袴)茶碗 江戸時代後期 染付祥瑞写手桶型水指 江戸時代後期 染付菱唐草文四段重箱 江戸時代後期 鉄絵花鳥文中皿 江戸時代後期 緑釉貼付雲龍文水壺 江戸時代後期 鉄絵花唐草文燗風炉 江度時代後期 鵜ノ斑釉手鉢 江戸時代後期 説明文 麦藁手片口 瀬戸 江戸時代後期 獅子座文殊型香炉 瀬戸江戸時代後期 瑠璃釉貼付稲穂雀文鉢 明治時代前期 染付唐草文茶臼 江戸時代後期 染付太鼓胴花生