トルコ旅行のツアーに参加し、アンカラで美術館にも行ったが、旅行の興味はカッパドキア、トロイ遺跡などだったので、アンカラに着いてからアナトリア文明博物館に行くと聞いて、はじめてこの博物館を知ったくらいで、ほとんど期待しないで入館しました。
しかし、入ってみてその内容の豊富さに驚き、来る前にもっと調べてからくるべきだったと本当に後悔しています。
この博物館はトルコの近代化を進め、トルコ発展の基礎を築いた初代トルコ共和国大統領のムスタファ・ケマル・アタチュルクの提言により、古代アナトリア栄光の時代であるヒッタイト帝国時代の遺物の展示を目的に設立されました。
建物はアンカラ城の丘の上にあったオスマン帝国時代の15世紀に建設された屋内バザールと隊商宿(キャラバンサライ)とを修復利用し、1938年に着工、43年の初公開を経て68年に完成しました。
ここに収蔵されている遺物はすべてアナトリア高原で出土した遺物に限られていますが、この比較的狭い地域で一万数千年にわたって繰り広げられた数多くの文明の輝きを目の前で見るように実に広大な世界を見ることが出来ます。
この博物館はトルコで最も充実した博物館であり、1997年のヨーロッパ博物館賞を受賞しています。
博物館での説明文はトルコ語のため(一部英語もありました)意味不明で、ほとんど手当たり次第に写真を撮りましたので、帰ってから調べているうちに、もっと撮影しておけばよかったと思うところがたくさんありました。
そのためここに記載することは、日本に帰ってから調べて知ったことがほとんどです。
アナトリアとはトルコ中東部にあり、特に中央アナトリア地方は人類の文明がもっとも早く開かれたとされている地方です。
チャタルホユック遺跡ではBC8000年の集落跡が発見されており、10000年以上前に文明が興ったと思われます。
トルコは北は黒海、南西部は地中海、西はヨーロッパに接し、東はシリア、イラク、イランなどに接する半島にありますが、この半島をアナトリア半島とも言います、しかしアナトリアは土地の名称であって地形を示す名称ではないそうです。
地図を示します。
アナトリアの名称は東ローマ皇帝コンスタンティノス7世の時代、エーゲ海に面した西岸地方に軍管区を置き、「アナトリコン」(ギリシャ語で日出る処の意)と名付けたことに由来するそうです。
トルコの土地には主のものだけでも、ヒッタイト、ウラルトゥ、フリュギア、リディア、古代ギリシア マケドニア王国、セレウコス朝シリア、大アルメニア王国、ローマ帝国、東ローマ帝国、セルジューク朝、ルーム・セルジューク朝、オスマン帝国など数多くの文化、国が興亡を繰り返したところです。
この博物館には旧石器時代から新石器時代、ヒッタイト王国時代、ギリシャ、ローマ時代などの遺物が大量に収蔵、展示されており、特にヒッタイト時代については世界一の内容を誇っています。
それまでドイツ、イギリスなどによって発掘されていた古代アナトリア遺跡の調査をみずからの手で行い、
「トルコの歴史」を発掘しトルコの民族意識を高揚しようとしたケマル・アタチュルクにより「トルコ歴史協会」が設立され、その中心メンバーにトルコ考古学の先駆者H.Z.コシャイが選ばれ、1935〜48年、1963〜67年の2回にわたり大規模な発掘調査がおこなわれ、世界中に驚きを与えるような結果を残して幕を閉じましたた。
コシャイはこの博物館の創設にも多大な貢献をし、その収蔵品の中にかれがトルコではじめて発掘した多くの金、銀、青銅の遺物が並んでます。
なお日本としても1998年、(財)中近東文化センターの附属機関として、トルコ共和国クルシェヒル県カマン郡チャウルカン村にアナトリア考古学研究所が設立され、発掘調査、啓蒙活動などを行っています。
アナトリア文明時代 |
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青銅製の祭儀用表象 スタンダードと呼ばれているが 用途ははっきりとは分らない。 アラジャホユックの前 後半の文化層から出土 BC3000 |
左のスタンダードの側方からの写真 一番上に鳥が乗っている |
牡鹿像 素材 青銅・銀 製作年 BC3000年 発見年 1935年 場所 アジャラホユック |
同上 |
数センチの小さな像たち |
金器 |
これもスタンダード? |
腕輪 |
金・鉄製の短剣 人類最初の鉄剣 アラジャホユックの前2500〜2200年の 文化層から出土。オリエント世界での 鉄器文化は前1200年頃からと いわれるが、中央アナトリアでは これより1000年以上前に鉄器時代に 入っていた。鉄の発明はヒッタイト帝国 よりも古いプロトヒッタイトということに なる。 |
左の鉄剣について 1938年,トルコの考古学者コシャイらの 発掘隊により,アラジャホユック遺跡の 墳墓から黄金の柄に着装された鉄製の 短剣が出土した(左図)。 出土した文化層は紀元前2300年頃の ものであり,製鉄技術が確立される 以前のものである 鉄の還元が難しかった時代の鉄なので どのようにして作られたかいろいろ説が あったが、鉄の分析の結果隕鉄を使っ たらしいことがわかった。 分析についての詳細はここをクリック してください。 |
女性像 BC3000年 1951年ハッサンノーランで発見 |
左の像の説明文 elektrum(金と銀の天然の合金)で 出来ており顔、胸、足環、腕輪は 純金で出来ている 像は胃を守るように両手をその上に 置いている 像は衣服を表わしていると思われる 胸で交差する金のバンド以外は裸で ある。 |
これもスタンダードの一種? |
授乳する女性像 BC3000年 |
土器類 |
同左 |
嘴形注口水差し |
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トルコでは各所で見たバラ 博物館前の庭にもあった |
何の花か? やはり博物館の 庭にあった |