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                                                            訪問日 2015年12月17日~19日

カンボジア旅行

アンコールワットなどを見ようとカンボジアに行った。 
アンコールワット、アンコールトムが素晴らしいとは以前から聞いていたので期待いっぱいで遺跡に入った。 
ツアーで行ったのでツアーで計画したところへ案内されたわけですが、これまでは期待いっぱいで行くと期待ほどでなくてがっかりすることがほとんどでした。
しかし、今回は違いました、全体の広さも、個々の遺跡の規模も、遺跡の美しさも全く想像以上でした。  最初に案内されたのは『プラサット・クラバン』という小規模の遺跡で、アンコール遺跡群でも古いほうの遺跡でしたが  その時はアンコールワットはこれより規模が大きいだけかなと思いました。  
でもこれも全く違いました。
その後いくつかの寺院遺跡を見て回りましたが千四五百年前から七百年前くらいの時代にこれほど大規模で精巧で精緻な石の建造物が数多くつくられたことに驚きました。
『プラサット・クラバン』の次に行ったのは『バンテアイ・スレイ』というこれも比較的小規模の遺跡でしたが、ここでは柱、壁、破風などのすべての表面に精巧な浮彫りが施されており、正に見事というほかありませんでした。
特に祠堂の壁面に16体もが浮彫りされているデバダー(女神)像はそれぞれ表情が異なっていてそれぞれとても魅力的です。
この像については『東洋のモナリザ』とも言われているるようで、1924年にはフランスの作家アンドレ・マルローが、ここの女神像3体をのこぎりで切り取って盗み出そうとして捕まったことでも有名になったそうです。
アンドレ・マルローは友人のルイ・シュヴァッソンとともにプノンペンで逮捕され、1924年7月プノンペンの裁判所でマルローは禁固3年、友人のルイは禁固1年半の判決を受けた。一方、無罪判決を受けた妻のクララはいち早くフランスに帰国し、知識人たちに救援運動を呼びかけた。これに応じてアンドレ・ジッドやフランソワ・モーリアックらパリの知識人らが署名嘆願運動を起こし、マルローは10月にサイゴンの控訴審で執行猶予1年に減刑され、11月にフランスに帰った。
アンドレ・マルローはその体験に基づく小説『王道』を1930年に上海で発表している。
アンコールワットの壁画にも驚嘆、感激しました。 
高さ3m程で四周の総延長750mにもなる第一回廊の石の壁一面に精巧な浮彫りがされていました。
浮彫りの内容は乳海撹拌、ラーマーヤナ、マハーバーラタ、クリシュナと悪魔の戦い、阿修羅に対するヴィシュヌの勝利、天国と地獄などと聞来ましたが、予備知識なく残念だがどれが何を描いているかわかりません。
調べてから来ればもっと楽しめたのに・・・残念。
でも何十年も前からここに乳海撹拌の絵があると聞いていて、是非見たいと思っていた絵を見ることが出来たのは大感激です。
また、江戸時代にここを訪れた日本人、森本右近太夫一房が書いた落書きも見ました、そこには「御堂を志し数千里の海上を 渡り」「ここに仏四体を奉るものなり」とあり、彼はここをインドの祇園精舎だと思ったようですが、遠い日本からはるばる来てこの大伽藍を見て、大変な感動だったことだろうと思うと私も感激してしまいました。
アンコールトムでは想像以上の広さで、内部の予備知識がなかったので道に迷いそうでした。
第一回廊の浮き彫りは、神話を題材にしたアンコール・ワットとは異なり、貴族や庶民の暮らしを題材にとったものが多く見られます。チャンパ軍との戦い、行軍の風景、野菜や肉が並ぶ市場、闘鶏に興ずる人々、仲むつまじい夫婦の情景など、歴史的資料としても大変貴重なものだと云われています。
このほかアンコールトムで有名なのは数多くある塔の4面に彫り出された観世音菩薩の顔です。
見たあとで一番印象に残ったのはこの数多くの顔です、当初196面あり、現在も173面あるそうです。
それにしてもこれだけ巨大な石の建造物をいくつも作っていたことに感心しましたが、なにかに書いてありましたがカンボジアではアーチ構造の知識がなかったそうで、巨大な門も疑似アーチと言う垂直方向に荷重をうける構造しかないそうです。
そのためと思いますが巨大な石造建築なのにヨーロッパ、トルコなどで見た巨大空間を持つ建造物が見られません。
アンコール遺跡群観光の拠点シェムリアップにはアンコール国立博物館があり、アンコール王朝の歴史を、大型スクリーンや音響、照明を駆使して分かりやすく紹介しているそうです。
展示室は「千体仏の間」「宗教と信仰」「アンコール・ワット」など8つに分かれ、クメール王国の成り立ちや王朝発展に貢献した4人の王について、また当時の宗教についてなど日本語解説を聞きながら詳しく学べ、貴重な石造彫刻やリンテルレリーフ、石碑文など展示品も見応え十分だそうで、遺跡訪問前に訪れたかった所です。
ここの他、プノンペンにはカンボジア国立博物館があってアンコールの遺跡にあった神像、仏像などの実物が展示されているそうで、アンコールにある像はほとんどレプリカだそうです。
私が直接見ているわけではありませんがませんが、博物館の規模はアンコールの方がかなり大きいそうです。


アンコール遺跡群写真

現地で撮影した写真は2000枚以上あり、ここにあげたのはその一部です。

アンコールワット



アンコールワットの航空写真
左前方が正面入り口

ラーマーヤナの物語の
一部と思われる

同左

マハーバーラタの一場面と思われる

同左

スーリヤヴァルマン2世軍隊の
行進?

猿の戦い?

天国と地獄
中央は水牛に乗った閻魔大王

乳海撹拌
ナーガ(蛇)を引きあうアスラ

乳海撹拌
他方でナーガを引く神々達

乳海撹拌
中央で指揮をとるヴィシュヌ神

バンテアイ スレイ


デバダー
(東洋のモナリザ)
数体あるようだが
撮影したのはこれだけ

踊るシバ神

ラクシュミー(ヴィシュヌ神の妻)に
聖水をかける2頭の象

3頭の象に乗る
東の方位神インドラ
これと右2枚は
ウェブから取った写真です
私が撮った写真もありますがこちらの
ほうが細かいところが良く見えるので
これらの写真にしました

別のデバダー

カイラーサを揺するラーヴァナ

アンコールトム


市民生活

同左

同左

舟戦の様子

船から落とされ鰐に食われる人々

陸での戦い

観世音菩薩の顔はそれぞれ
異なっていて見あきない


名古屋市博物館
《 アンコールワットへのみち 》

今年の4月になって名古屋市博物館で『アンコールワットへのみち(インドシナに咲く神々の楽園)』と題する特別展が開かれたので、カンボジアで見たばかりなのでどのような展示が見られるのか と思って見に行った。
展示されていたのはカンボジアのほか、タイ、ミャンマーの石製、青銅製の彫像、陶器製品でした。
カンボジアの旅のあと、そこで見た多くの神々の像がそれぞれなんという神なのかを調べてなんとかそれぞれ確定しようとしましたが、わからないものも多くありました。
この展示で100体近くの像に尊名・解説がつけてあり、本当はその解説などの写真をとって来たかったのですが、写真不可なので帰宅してから思い出すことにして帰りました。
疑問に思っていた何体かの尊名はわかりましたが、残念ながら多くのものが思い出せません。
わかったのはバンテアイスレイの祠堂前にあった何種類かの坐像です、シンハ(獅子)、ヤクシャ(夜叉)、ガルーダ(ビシュヌ神の乗り物)、サル(猿)です。
展示されているものを見てカンボジアから運んできたのかと思いましたが、すべて日本国内で所蔵されているものとのことです。
これほど多数の像がカンボジアから日本に持ち込まれているとは思いませんでした。
これが日本に持ち込まれたすべてではないでしょうし、日本以外の国々も持ち出しているとしたら数千体が持ち出されていると思われます。
下のURLは展示会場内で放映されていたビデオがyoutubeにアップされたものです。https://www.youtube.com/watch?v=dBQMz8JubMY


パンフレット


表面

裏面
各画像および説明文をクリックすると拡大表示されます

展示品一覧表


今回展示されていた展示品の一覧表です各ページともクリックすると拡大表示されます


展示されていた作品の一部


宇宙創造の最高神ブラフマー

女神プラジュナパーラミーター

ガルーダ

富と知恵の神ガネーシャ

ヴァーシムカ

ブッダ

プノン・ダ様式の神像
(ヴィシュヌ・6~7世紀)

サンボール・プレイクック様式の神像
(パールヴァティー・7世紀前半)

クレーン様式の神像
(ヴィシュヌ・9世紀前半)

プレア・コー様式の神像
(ヴィシュヌ・9世紀後半)

アンコール・ワット様式の神像
(ヴィシュヌ・12世紀)

ミュージアムトーク
「密林から目覚めるアンコール遺跡群」



先日名古屋市博物館で『アンコールワットへのみち』という上記の展示を見たが、その博物館で学芸員による
ミュージアムトーク『密林から目覚めるアンコール遺跡群』が行われたので聞きに行った。
レジュメには下記の項目がありそれぞれについて話があった

1 アンコール遺跡の『発見』  
   19世紀後半 フランス人によって
   壮大なアンコール・ワットの建築と彫刻技術が注目 
     アンリ・ムオ     (1826~1861)      インドネシア王国遍歴記
     アンドレ・マルロー (1901~1976)            王道

     この『発見』の言葉は欧米の眼から見た『発見』で、『発見』された時アンコールワットがまったく密林に埋
     もれていたわけではなく、現地の人々の信仰の対象となっており,王様も定期的に訪れ、祭りなども行わ
     れていたとのこと ただ一部は荒れて崩壊するにまかされていた遺跡もあったし、現在も修復の手が
     入ってないところもある

2 アンコール遺跡群の調査と修復・保存
   フランス・日本をはじめとする各国   「帰ってくる」ものと「出てゆく」もの   文化財の返還と流出

      アメリカをはじめ各国に流出していたカンボジアの文化財の返還が始まっており、これがさらに広がる
      こと が望まれる。
      一方現在もかなり多くの文化財の流出が続いておりこの対策も必要。
      今回の展覧会『アンコールワットへのみち』に出展されている107点の文化財はすべてカンボジア
      から持ち 出されて日本国内にあるもので、この問題の解決はかなり難しい

3 アンコール遺跡群とカンボジアの現在
   『発見』の後、進む修復・保存と整備    安定した平和と社会・経済の発展
    ・・・今、まさに目覚めつつある

     修復・保存について各国が協力して進めているが、フランスと日本の働きが特に大きい
     日本の修復・保存の協力 の特徴は遺跡が作られた当時の材料と技術を出来るだけ忠実に守って
     修復し、 コンクリートなどを使って崩れてゆく遺跡を守るようなことはしないこと、およびカンボジアの
     人々が自分たち の力で修復・保存が出来るようにいろいろな技術・知識を持つ人材を育てていること
     です
     またアンコール遺跡群の観光収入がカンボジアの歳入の15%ときわめて重要な位置を占めていること
     も考慮しなければなりません
     遺跡をすべて建設された当時の姿に修復してしまうと、密林に埋もれた遺跡を期待して訪れる観光客
     を失望させ収入が減ってしまう恐れがあります


  


解説 ハリハラ ナーガの上のブッダ ブラフマー