日本人で葛飾北斎を知らない人はいないくらい北斎は知られており、その作品についても冨嶽三十六景などは誰でも知っており、また好まれている。 私もかなり沢山の葛飾北斎の浮世絵の実物と、もっと多くの印刷物を見ており、その構図の面白さ、奇抜さなどに驚くとともに、江戸時代でもこんなものを描く人がいて、またそれを評価する人もいたことにも驚きを禁じえなかった。 今度、小布施の北斎館に行くと聞き、どんなものが見られるか楽しみにしながら訪問したが、ここで見られたものは今まで殆ど(一度も?)見たことがなかった多くの肉筆画でした。 多数の展示品を見て改めて北斎について、これまで知らなかったことをいろいろ知ることが出来、もっといろいろ調べてみようかと言うきっかけも与えてくれたと思う。 なぜ小布施と北斎か? について下の写真の説明にもつけたが小布施の豪商、高井鴻山の存在なしではありえなかったことがよくわかった。 現在ではあまり大きな町とはいえない小布施だが、古くから物資集散の拠点の交易都市として栄え、その中で高井鴻山ような力を持った豪商が出てきたのでしょう。 高井鴻山の子孫がまだ小布施の町に残っていて、□一(ますいち)市村酒造と栗菓子の小布施堂を経営している。 世の中には小布施堂のほうがよく知られていますが、市村酒造で聞くと高井鴻山の時代には酒造しかしていなかったようです。 この蔵で出来た鴻山という酒は酒米として備前雄町を使っているとの事で、雑味がなくすっきりしたおいしい酒でした。 |
小布施の町 |