この美術館にはこれまでにも行ったことがあり、二十五・六年前に一回と・十五・六年前に一回で、今回が3回目の訪問になった。 私は美濃地方の製陶の盛んな土地に生まれ育って、近くに陶土の採掘・精製・配合混練する工場、釉薬の工場、成型・焼成工場などがあったこともあり、陶磁器に興味を持っていた。 しかし、何分美術陶器は大変高価で購入することは出来なかったので、本を購入して勉強し各地の美術館を訪問して楽しんでいた。 当時、仕事の関係もあって有田地方と信楽のいくつかの有力な窯元を訪ね、製造工程を詳しく見せてもらう機会があり、また、奈良に住んでいたときには奈良市内、郡山市内などの赤膚焼きの窯元もよく訪ねたものである。 こうしたなかで、私として各地の産地の陶器(とくにその技術)につての考えがまとまってきた。 一番感じたのは、なんと言っても『有田地方が一番進んでいるな』ということである、子供の頃に近所の製陶所で見てきたいろいろの技術のもとはみな有田にあったのである。 逆に言えば美濃焼きはもともと有田の模倣から始まり、まだ抜け切れていないともいえる。 信楽でも赤膚でも同じように感じた。 九谷焼の窯元はまだ行ったことがないのでなんともいえないがこれも似たところであろう。 今回の美術館訪問には、骨董・古美術に詳しい先生が同行され、往路のバスに中で古九谷について最近新たな発見が続いて古九谷の見方が大きく変わったとの説明があった。 以前から、古九谷は本当は有田で焼かれたものではないか、との論争があったことはいろいろの情報で知っていたが、先生は最近の有田地方の複数の古い窯跡の発掘で、古九谷と同じ絵柄の陶片が数多く出てきて、ここで古九谷が大量に焼かれたことが確定的になったとの事であった。 ただ古九谷と言われているものがすべて有田のものと言うのではなく、一部九谷で焼かれたものもあるとの事でもあった。 (帰ってから調べてみると、東京大学の本郷キャンバスの場所にあった大聖寺藩の江戸藩邸跡から大量の陶磁器片が発掘され、この中に古九谷も数多く含まれており、これらの陶片を最新の機器を使って詳しく分析した結果、従来古九谷とされてきた様式にものは肥前産と確認されたとのこと。 ただいわゆる古九谷とは成型・施文・施釉が少し異なる陶片については九谷のものと確認できたものもあったとの事である。) (本郷キャンパスにおける発掘調査の成果ー東大構内出土『古九谷』と生産地論争ーより www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000kaga/02/020100.html ) 前に訪問した時美術館で『石川県美術館保管 九谷名陶図録』を購入したが、今回の展示品も古九谷に関してはほぼ同じものであったが、なぜか現在は石川県立美術館となっている。 前回から大きく変わったのは、前回なかった野々村仁清作の『国宝 色絵雉香炉』と『重要文化財 色絵雌雉香炉』が展示されていたことである。 2点共それぞれ別の方から石川県立美術館へ寄贈されたとの事。 入館時の美術館の方からの説明によると、日本の国宝は2005年6月現在1070件とかなり沢山あるが仏像か寺院等の建築物、絵画などが多く、工芸品は252件と少なく、そのまた半数は刀剣であり陶磁の国宝はわずかしかないとのこと( どうも陶磁器は量産されることが多いのと、類似の作品が多いためと思われる。) そうした条件の中で国宝に指定されている仁清の『色絵 雉香炉』はたしかにすばらしく何時まで見ていても見飽きないものであった。 |
国宝 色絵雉香炉 重要文化財 色絵雌雉香炉 野々村仁清 江戸時代 17世紀 石川県立美術館の絵葉書より |
正面入り口 |
同左 |
正面左より |
兼六園と石川県立美術館 クリックして拡大すると位置関係が わかります |
古九谷とされる窯跡 |
色絵市松文平鉢 |
色絵鶴かるた文平鉢 |
色絵海老藻文平鉢 |
青手樹木図平鉢 |
色絵百花双鳥図平鉢 |
以前訪問した時購入した 図録 |