小磯記念美術館へ 他の美術館一覧へ
一昨年の12月21日神戸ファッション美術館を訪れた時、ポートアイランドに入ってから『ここが小磯美術館です』と聞いたことを覚えている。
そのときは一瞬で通過してしまったのでどんな美術館かまったくわからなかった。
今度の美術館めぐりも堀尾一郎先生が解説者として同行してくださり、美術館までのバスの中で小磯良平の生い立ちから、どのように絵の勉強をしたか、その絵の特徴はどんなところか、などを同時に行った兵庫県立美術館で開催中だったムンク展のムンクとともに詳しく解説して戴いた。
いろいろ聞いたので半分以上忘れてしまったが、小磯良平については、とにかく生まれも育ちもよく、東京美術学校在学中に22歳で帝展入選、23歳で帝展特選となり首席で卒業し、翌年師である藤島武二の薦めもあってフランス留学に行き、一足先に到着していた中学校からの友人の竹中とともに2年間ヨーロッパを遊学します。絵画技法の習得よりも、各地の美術館をめぐり、アングル、コロー、クールベ、マネ、ドガなどの巨匠達の作品を鑑賞することに熱心だったとのこと。
小磯良平の絵についての堀尾先生の見方は、よくもわるくもすべてに恵まれて(育ちも、友人も、絵の才能も、また運さえも)、挫折など味わったことがないため、極めて優等生的な絵であり技術的には素晴らしいものがあるが、いまひとつ人を揺り動かすようなものがないのではないか、とおっしゃっていたように思います。
ムンクの絵はあまりうまいとは言えず、日本の展覧会に出しても落選するのではないか、しかしその強烈な訴求力のある絵は、真似をしようとしてもほかの人には絶対まねできないものだと思う、私(堀尾先生)も描けそうにない。
しかし、小磯良平の絵は、必死で勉強を続ければ他の人でもかける絵だと思う。
こんな話を聞いてから、美術館を観てまわりました。
美術館には一枚も展示されていませんでしたが、戦時中に軍部に委嘱されて多くの有名な画家とともに戦地の赴き、戦意高揚のための戦争画を沢山描きました。
美術館に展示されている絵の制作年代を見ると、昭和15年から22年までのものが極めて少なく特に昭和19年から22年までのものは一枚もない。
この間は戦争画がほとんどであったと思われる。
戦後、小磯良平自身も戦争を推し進めるような戦争画を描いたことを大変悔やんで、画集にも入れなかったとのことである。

 
パンフレット(1)
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パンフレット(2)
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彼の休息
1927年
モデルは終生の友人 竹中郁

二人の少女
1946年
モデルは小磯良平の
二人のお嬢さん

婦人像
1960年
モデルは八千草薫

着物の女
1936年

斉唱
1941年

K夫人像
1947年
モデルは小磯良平の夫人

自画像
1926年

風景
1923年

美術館正面右

美術館正面左

美術館正面中央

同行された堀尾先生

ミュージアムショップ

我々が行った時も小さい子供さんたちが大勢入館していたが、そういった子供さんたちに
美術に対しての関心を持たせるためか子供用の解説パンフレットが用意されていた。
参考のため何枚かをもらってきた。


小磯良平が製薬会社の依頼により描いた薬用植物の絵
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