ユトリロと言えば人物より街並み、町の道を多く描いた画家で、静かな雰囲気の絵を描く画家だったくらいにしか思っていませんでしたが、いい印象持っていた画家でした。
たまたま、友人から松坂屋美術館で開かれている回顧展の入館券を頂いたので、どちらかというとかなり期待して出かけた。
展示されていた絵はみな期待通りで素晴らしいと思い満足しましたが、館内にいくつも掲示されていたユトリロの出生、子供時代、青年時代、さらに大人になってからの生活を読んで、今までユトリロは酒好きではあったが人格者の紳士だと思っていたのが全く違っていたことがわかりました。
このページを書くのにもユトリロのことを調べましたが、素晴らしい絵を描くことができるのは、絵を描くための人一倍の努力、環境、良い指導者、人生経験の多さ、などとは全く関係がなく、その人の持って生まれたもの(感じたものを絵という表現に変える感性?)だなと改めて思いました。
彼の前半生の半分近くははアルコール依存症と精神病のための入院だったようです。
父親もはっきりはわからないようですし、母親も絵描きではあったようですが当時のフランスでは女性が一人で生きてゆくのが大変だったのか、相手の男性が何人も変わっており、必ずしも子供のころからユトリロの面倒をよく見たとは言えないようです。
それでもユトリロは母親が大変好きで母親にふり向いてもらいたいといつも思っていたそうです。
母親は絵のモデルをしており、ルノアール、ロートレックなどの有名画家のモデルもしたとので、絵も残っているそうです、また彼女自身も絵描きで絵でも収入を得ていたようで、ユトリロが絵を描くきっかけは母が絵を描いていることだったそうですが直接の指導はしなかったようで、ほとんど独学で絵の技術を習得していったそうです。
50歳くらいからは名前が売れ、収入も多くなりましたが幸せな生活ではありませんでした。
素晴らしい絵は描きますがそれ以外では普通の人間でななかったように思います。
どの程度正確な情報かわかりませんがWEBのこのページ(モーリス・ユトリロの世界)に詳しく出ています
パンフレット表 |
パンフレット裏 |
ここにあるユトリロの絵は美術館のミュージアムショップで購入したえはがきです。
ほかの絵もほとんどが街並みと道の描かれたものでした。
母親のシュザンヌ・ヴァラドンの描いた2枚の絵はウィキペディアからとったものです。
ここでラパン・アジルの絵はがきを3枚購入しました、ユトリロは生涯で6000点くらいの絵を描いたそうですがその内ラパン・アジルの絵を400点ほど描いているそうです。
ラパン・アジルはユトリロが良くかよった飲み屋です。