三重県立美術館のホームページヘ金刀比羅宮のホームページヘ
5月は三重県立美術館へ行くことが出来た。
下記の三重県立美術館のホームページにも紹介されているように、ほとんど門外不出とされている金刀比羅宮の文化財が大量に展示されると聞いて楽しみにして出かけた。
金刀比羅宮には2度ほど行ったことがあるが、残念ながら美術品などまったく見たことがなかったし、また不勉強で金刀比羅宮にそんなものがあるとは思いもしなかった。
金刀比羅宮には、表書院、白書院(田窪恭治が椿の障壁画を製作中なので椿書院とも言われている)、奥書院、高橋由一館、宝物館、金昆羅庶民信仰資料収蔵庫など文化財を収蔵または展示している施設があり、多くの美術品を所蔵している。
以前、大三島の大山祇神社に行った時、その宝物の量の多さと質の高さ(国宝8件、重要文化財75件)に驚いたが、鎌倉の鶴岡八幡宮、厳島神社、熱田神宮などにもでもほぼ同量の宝物が伝えられており、全国の神社が所蔵する文化財の量は大変なものと思われる。
( 明治神宮、平安神宮などは新しい神社なので、所蔵する文化財が少ないには分かるが、伊勢神宮、出雲大社、大神神社、住吉大社などに多くないのが何故だか分からない。)
これらの宝物の殆どは祭神への信仰から奉納されたもので、昔の人々の信仰心の深さが偲ばれる。
なお、大きな寺にもこれ以上の国宝、重要文化財があると思うが、寺にあるものの多くは仏像、仏具、建造物で信仰の対象ないしは、仏事に使用するものが多く少し意味が違うように思う。

 以下は三重県立美術館のホームページからの文章です、

               金刀比羅宮 書院の美
            ―応挙・若冲・岸岱から田窪まで―
             2008年4月26日[土]−6月8日[日]
「こんぴらさん」の名で広く親しまれている香川県琴平町の金刀比羅宮は、農業・殖産・医薬・技芸そして漁業、航海など広汎な人徳をもつ神様としてひとびとの信仰を集めています。 一方で、歴代の別当や宮司たちが学芸を尊重し、積極的に庇護したことから、金刀比羅宮は「美の宝庫」としての重要な役割も担ってきました。 意外に思われる方もおられるかもしれませんが、日本の登録博物館第1号は、実は、金刀比羅宮の宝物館・学芸参考館なのです。
文化や芸術を積極的に支援するその姿勢は、現在の金刀比羅宮にも受け継がれ、「信仰」と「文化」の融合を目指す「琴平山再生計画」が進められてきました。 「琴平山再生計画」の「文化ゾーン」(表書院・椿書院・高橋由一館・新茶所『神椿』)の整備完成を記念して今回、本来門外不出の文化財の数々公開が叶うこととなったのです。
三重県立美術館で開催される「金刀比羅宮書院の美」展は、江戸時代を代表する絵師・円山応挙の代表作・表書院襖絵、伊藤若冲、岸岱による通常は非公開の奥書院襖絵、 林檎の礼拝堂」で知られる美術家・田窪恭治が制作を進めている椿書院襖絵を大規模に移動する画期的な展観となります。あわせて、近代洋画の先駆者・高橋由一が 同宮に奉納した27点にもおよぶ油絵作品、さらに和船、絵馬などの金刀比羅宮庶民信仰資料もご紹介します。
確かに大量の障壁画、近世絵画、庶民信仰資料、高橋由一の油彩画、田窪恭治の椿書院の障壁画など見ごたえのあるものが多くおおいに疲れた。
それでも、津市内の東洋軒のブラックカレーなどの昼食もおいしかったし、いい一日であった


美術館遠景

エントランスホール

正面玄関前にあった
銀色に光る造形


金刀比羅宮書院の美展ポスター
デザイン:北本裕章
   

OHPを使って今回の特別展について解説があった




展示の全体構成

表書院平面図

虎の間襖配置

鶴の間襖配置

七賢の間

山水の間

山水の間襖配置

奥書院平面図

上段の間襖配置



岸岱《水辺花鳥図》
奥書院  菖蒲の間
1844年

伊藤若冲《花丸図》
奥書院  上段の間
1764年

丸山応挙《遊虎図》
表書院  虎の間
1787年

伊藤若冲《花丸図》
奥書院  上段の間
1764年

椿図
白書院(椿書院
田窪恭治
製作中)

水辺柳樹白鷺図(部分)1844年
岸岱 がんたい 
(1785-1865)

田窪恭治さんの作品を展示した
スペースでは、制作途中のツバキの
絵に田窪さんが筆を入れていた。
この作品は05年から制作を続けて
いるとのこと

東 洋 軒



玄関

風格にある看板

2階のダイニングルーム

同左

上の写真の中央右に見える花飾り

東洋軒の名物ブラックカレー
作りかたは下のパンフレットに
書いてある

パンフレット(外面)

パンフレット(内面)