奈良国博・大遣唐使展 他の美術館一覧へ 〒630-8213奈良市登大路町50番地
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訪問日 2010年5月27日

遣唐使に関する国宝・重要文化財120点などが一堂に集まる展覧会ということで期待して見に行った。
たしかに見ごたえのある文化財がならんでいて見飽きなかったが、あまり多くて時間に追われて終わりころは充分見ることが出来なかった。
鑑賞の前に、学芸員によるレクチャーがあったのでおもな展示品はその背景を知って見ることが出来た。
ボストン美術館蔵の「吉備大臣入唐絵巻」は解説でその内容を詳しく聞いていたので特に興味深かった。
また井真成の墓誌がありましたが、これは2004年の10/10、陝西省西安の西北大学が、阿倍仲麻呂や吉備真備らと同じ養老元年 (717、中国では玄宗の開元五年にあたる)の第9回遣唐使の一人とおぼしき日本人の墓誌を入手したと発表されました 、入手の経緯ははっきりしませんが工事現場で偶然発見されたそうです。 井真成は日本国内ではまったく記録が残っておりませんが、 墓誌によれば死を悼んだ中国皇帝が尚衣奉御という官位を追贈したとのことで、かなり優秀な人だったようです。
墓誌には次のように書いてあります。

原文
贈尚衣奉御井公墓誌文并序
公姓井字眞成國號日本才稱天縱故能
■命遠邦馳騁上國蹈禮樂襲衣冠束帶
■朝難與儔矣豈圖強學不倦聞道未終
■遇移舟隙逢奔駟以開元廿二年正月
■日乃終于官弟春秋卅六皇上
■傷追崇有典詔贈尚衣奉御葬令官
■卽以其年二月四日窆于萬年縣滻水
■原禮也嗚呼素車曉引丹旐行哀嗟遠
■兮頹暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰
■乃天常哀茲遠方形旣埋于異土魂庶
歸于故鄕                      (■は破損により判読不能)

訳文
尚衣奉御を追贈された井公の墓誌の文 序と并せる
公は姓は井、通称は真成。国は日本といい、才は生まれながらに優れていた。それで命を受けて遠国へ派遣され、上国(中国)に馬を走らせ訪れた。 中国の礼儀教養を身につけ、中国の風俗に同化した。役人になり、正装して朝廷に立ったなら、並ぶものはなかったに違いない。だから誰が予想しただろう、 よく勉学し、まだそれを成し遂げないのに、思いもかけず突然に死ぬとは。開元二十二年(七三四)正月□日に官舎で亡くなった。年齢は三十六。皇帝(玄宗)はこれを傷み、 しきたりに則って栄誉を称え、詔勅によって尚衣奉御の官職を贈り、葬儀は官でとり行わせた。その年二月四日に万年県の河の東の原に葬った。礼に基づいてである。 ああ、夜明けに柩をのせた素木の車を引いてゆき、葬列は赤いのぼりを立てて哀悼の意を表した。真成は、遠い国にいることをなげきながら、夕暮れに倒れ、 荒れはてた郊外におもむいて、墓で悲しんでいる。その言葉にいうには、「死ぬことは天の常道だが、哀しいのは遠方であることだ。身体はもう異国に埋められたが、 魂は故郷に帰ることを願っている」。


大遣唐使展パンフレット

大遣唐使展レクチャーOHP

大遣唐使展鑑賞前に博物館内のレクチャー室で学芸員から1時間ほど大遣唐使展の説明を受けた。
1時間では十分な説明が出来ないので”はしょった説明”になるとのことでしたが、後の鑑賞には大変役に立った。
博物館内では写真が撮れないのでこの説明のとき使われたプロジェクターの画像に一部を撮影した。
下の写真には説明文が付いているので一部を除いて説明をつけません。


解説の学芸員

遣唐使の人員は500人ほどで初期の
数回は2艘でその後は4艘で渡った
そうです


吉備真備囲碁の図
真備が碁石をこっそり飲み込んだ

囲碁の不正調査
排泄物の中の碁石を調べている