仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって仏法の興隆を図るため「西山御願寺」(にしやまごがんじ)と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。 しかし光孝天皇は志なかばにして崩御せられ、次の第59代宇多天皇が先帝の意志を継がれ仁和4年(888年)にその造営を完成されました。 西山御願寺は先帝から受け継がれた「仁和」の年号をもって寺号と定められ、大内山仁和寺(おおうちやまにんなじ)と呼ばれるようになりました。 平安時代の中期から鎌倉時代にかけて皇室の尊崇と貴族の庇護を受けた仁和寺は大きく栄えることになりましたが応仁元年(1467)に始まった「応仁の乱」によって仁和寺は一山ことごとく 焼失するという悲運に見舞われました。 仁和寺の再建についてはその後、努力が重ねられましたが、なかなか思うようには実現しませんでした 応仁の乱から約100年後の寛永11年(1634年)徳川幕府3代将軍家光の時代になって今日見られるような仁和寺として再興されるところとなりました。 丁度その頃、京都御所を再建する時期に当たっていたので現在仁和寺金堂になっている「紫宸殿」の他、多数の建造物、金20万両の再建資金が仁和寺に渡され再興されかつての繁栄を取り戻す事が出来ました。 その後、江戸時代終わりまで歴代天皇の皇子皇孫が門跡を務めましたが慶応3年(1867年)で第30世門跡純仁法親王が還俗したことで皇族が門跡となる宮門跡の歴史が終わりました。 こうした歴史から仁和寺霊宝館には、歴代門跡にかかわる宝物が数多く現在に残されていますが、なかでも宇多天皇の所蔵品は御物として、永く秘蔵された優品であり、国宝11点をはじめ数多くの重要文化財を所蔵しています。 仁和寺は平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録され新たな歴史を刻んでいます。 |
境 内 |
東の門? |
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御室桜 |
御室桜の美しい苔 |
境内にあった柘榴 |
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霊 宝 館 |
仁和寺霊宝館パンフレット 各写真をクリックすると拡大表示されます |
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精進料理 阿 じ ろ |
昼食は精進料理の『阿じろ』でいただいた。 美術館めぐりで行く昼食の店はおいしい店が多いが、ここは特に◎であった。 |