他の美術館一覧

今度はかなり遠いので、いつものバスではなく新幹線で行くことになった。
目的は大原美術館であったが、前日に行って、岡山で岡山市オリエント美術館を見てから倉敷に行き、美観地区など市内をゆっくり散策し、アイビースクエア、橋本家などを見学した。
倉敷には10数年前に行ったきりで、記憶はあまり定かではないが街の中がこれほどきれいに整備されてはいなかったと思う。
美観地区以外も時間に任せていろいろ歩いたが、きれいになっているのは美観地区だけで、美観地区と大通りをはさんで反対側にある商店街などは、他の地方都市と同じようにシャッターの閉まった店舗が多く、ゴーストタウンのようであった。
大原美術館では、はじめに美術館の方の美術館の設立についての経緯、とくに児島虎次郎と大原孫三郎が親密になったいきさつと、欧州における虎次郎の収集の苦労、それに対する孫三郎の全面的なバックアップ、収蔵品構成などの詳しい説明があった。
、大原美術館は、本館、分館、工芸館、東洋館、児島虎次郎記念館からなり、本館には大原美術館の基礎コレクションである、児島虎次郎が心血を注いで収集した印象派を中心とした作品から、ヨーロッパ、アメリカの現代美術までを常設展示しています。
ここではエル・グレコ、モネ、ルノワール、ゴーギャン、ピカソ、マチス、モディリアーニ、カンディンスキーなどの作品がありました。
前庭にロダンの作品が立つ分館には、藤島武二、青木繁、藤田嗣治、佐伯祐三など数多くの日本の洋画家の作品のほか、彫刻、現代美術が展示されています。
東洋館・工芸館には、浜田庄司、バーナード・リーチ、富本憲吉、河合寛次郎の陶芸、棟方志功の木版画、芹沢_介の染色、のほか児島虎次郎の収集を中心とした東洋の古代美術品が展示されています。
児島虎治郎館には、その中の児島虎次郎室に児島虎次郎の作品、オリエント室には児島が集めた古代エジプト美術と中世イスラム美術、それに先史イラン美術も見ることが出来ました。
このオリエント室の収集品も素晴らしく、前日見た岡山しオリエント美術館を上回っているように思いました。

大原美術館



本館

本館前
ロダン 洗礼者ヨハネ

本館前
ロダン カレーの市民

分館

分館前

オリエント室

倉敷美観地区など



倉敷川

同左

『鶴形』の庭の末の剪定

倉敷川にかかる橋とエル・グレコ

大原家邸宅
手前の橋は右手の大原家新邸宅
に昭和天皇がお泊りになった時
大原孫三郎が作ったもので菊の文
が入っている。

同左

大原家新邸宅
現在は使用していないとのこと

国重文 大橋家

国重文 大橋家

国重文 大橋家

アイビースクエア



アイビースクエア入り口

案内図

倉敷紡績の発祥の工場

内部広場

倉敷紡績工場の説明

天領 倉敷の代官所跡

中国銀行倉敷支店
文化庁指定 登録有形文化財


倉敷の街の中を散策していると、なにか由緒ありげな建物があり、そこに懸かった銘盤を丁寧に磨いている人がいた。
その銘盤には次のようなことが書かれており、かっての大原家の財力の大きさをあらためて感じた。


旧倉敷銀行
倉敷の町では今でもこの銀行を本店と呼ぶ人がいる。 それは明治年間に大原孝四郎、孫三郎二代に亘っての倉敷銀行本店がここにあったからである 
江戸時代 天領の町 倉敷は、ゆたかな米の生産に支えられ、倉敷川の舟運を中心に、その河畔が大いに栄えた。
倉敷銀行は、その金融を一手にまかない、倉敷紡績の発展や、大原美術館設立にも寄与し、やがて現在の中国銀行の源流となる。
美しいステンドグラスをもつこの建物は今、中国銀行の一支店として使われているが、建築は大正11年ルネッサンス様式を備え、当時としては珍しく、いかにも大原孫三郎の気宇を窺うに足るものと思われる。


入り口
あまり大きな建物ではない

銘盤
記載内容は上記

エル・グレコ 鶴形 夢空間”はしま”など



喫茶店 エル・グレコ

同左

エル・グレコ内部

同左

同上

喫茶 夢空間”はしま”

250年の歴史を誇る旅館
『鶴形』

同左

『鶴形』内部
店長による建物、備品、料理
の説明

『鶴形』玄関の花

食事をした部屋に掛けられていた
棟方志功の額