大山崎山荘美術館のホームページへ
この美術館は正式にはアサヒビール大山崎山荘美術館と言うようですが、美術館のパンフレットによれば,
もともとは関西の実業家加賀正太郎(1888〜1954)が、大正初期から昭和初期にかけて別荘として建設したもので、加賀正太郎が若き日、英国のウィンザー城を訪れた際にながめたテームズ川の流れの記憶を元に木津川、宇治川、桂川の三川が合流する、この大山崎に設計し建てたものといわれています。
現在喫茶室のテラスとして使われているここのテラスから三川の方を見ると、大きくひらけた雄大な景観に感動します。
ただ、残念ながら現在では前方の樹木が大きくなって三川の合流地点をはっきり見ることは出来ません。
山荘の建設は1917年の土地の購入に始まり、1922年に木造の建物が完成します、その後も改造、増築をくりかえし、現在の姿が完成したのは1928〜1929年頃です。
しかし、1967年に売却されて加賀家の手を離れ荒廃してゆき、1990年ころには、ついに取り壊してマンションを建てる計画がもちあがり、この建物を惜しむ人たちから何とか保存できないかとの動きが出て、荒巻京都府知事が旧知の樋口廣太郎氏(当時のアサヒビール社長)に相談を持ちかけ、最終的にアサヒビール社が、天王山麓の景観を保全するために山荘を買い上げることになりました。
山の麓からこの美術館までかなりの坂道ですが、途中に別荘風の建物があり、『この先は加賀邸につき立ち入りはご遠慮ください』と立て札が立っていますが、ここがこの建物を建てた加賀家のものと思われます。
丁度、開館10周年記念特別企画として、『舩木倭帆ガラスの器』が展示されていました。
舩木倭帆(ふなきしずほ)が、ガラス工芸作家として、デザインだけでなく、制作までのすべての工程を自分自身で受け持って作られたガラスの器は、ガラスの冷たさを感じさせないぬくもりのある作品が多く、見ていて飽きないものでした。
これは作品が、この建物の雰囲気とよくあっていたことによるもので、いい気持ちで時間を過ごすことが出来ました。


阪急【大山崎駅】の案内板

山崎宋鑑冷泉庵跡

登り口

天王山全体の案内図

加賀邸

同左

美術館の門

美術館の門

エントランス

舩木倭帆ガラスの器について

舩木倭帆の作品
吹きガラスが多い

舩木倭帆の作品

舩木倭帆の作品

舩木倭帆の作品

舩木倭帆の作品

舩木倭帆の作品

舩木倭帆の作品

展示室内部

室内の家具の装飾
大山崎に多い筍の模様など

同左

ステンドグラス

同左

展示室のシャンデリア

展示室の窓にはめ込まれた
模様入りのガラス
部屋の雰囲気にあってすばらしい

同左

外光の明るい展示室

外光の明るい展示室

もとの別荘の雰囲気の内部

喫茶室のベランダから三川方面
を見る

喫茶室のベランダから三川方面
を見る

喫茶室のベランダ

外観

美術館横の池

美術館横の池