大阪日本民芸館

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大阪日本民芸館はアジアではじめての日本万国博覧会が開催された1970年、万博パビリオンの一つとして,関西財界あげての協力のもと、東京駒場の日本民藝館が出展参加し、民芸の美を世界に紹介した展示館です。
万博終了後、展示館の建物を引き継ぎ、民芸運動の西の拠点として開館したのがこの大阪日本民芸館です。
『民藝』と言う言葉は、1925年『民藝運動の父』といわれる柳宗悦(やなぎむねよし)がはじめて使ったのですが、当時、現在民藝(民衆的工芸)といわれている日用雑貨の類の美しさに心を留める人は誰もいませんでした。
柳は民衆の暮らしの中から生まれた美の世界、すばらしさを世に広める努力を重ねる中で、その考えに共鳴する人たちも徐々に増え、1934年には民藝運動の活動母体となる『日本民藝協会』が発足しています。
そして1936年に倉敷の実業家大原孫三郎氏の支援をえて、東京駒場の地に活動の拠点となる日本民藝館が開館されました。
この大阪日本民芸館の運営もこうした考えの下に進められており、収集品も国内のみならず世界各国の人々の生活の中から生まれた民藝品も数多く見られます。
今回訪れたときは秋季特別展として、『タパの美ー南太平洋の始源布』が開かれていた。

展示館関係


正面入り口

大阪日本民芸館の由来

中庭

タパの美ー南太平洋の始源布

タパは桑科などの植物の樹皮をたたき伸ばして作った布で、織物の技術が発達しなかった地域でおもに衣料として利用されてきたものである。
南太平洋の広大な海洋の中で孤立した地域では、近代まで機織の技術が伝えられなかったため、このタパが発達し、現在でもパプアニューギニア、フィジー、トンガなどで、それぞれの地域に特徴的なタパが伝えられている。
今回のは各地のさまざまなタパとともに、その製作工程、素材、道具が展示され、タパ以外の職布、編布、装身具、紐衣、かご細工など南太平洋の衣と装飾が幅広く展示されていた。
今回初めてタパというものを見たが、作り方からは想像出来ないような薄さと、強靭さに驚かされた。
、またその文様も、生活の中で生まれた工芸というにふさわしい美しさを見せていた。

数少ない織物
説明によると真ん中の大きなものは
貨幣として使われたとのこと

南太平洋の島々

樹皮をたたき伸ばす棒

染料と染色道具など

スリップウエア

スリップウエアという言葉はほとんどの人は(私も含めて)聞いたことがないと思います。
この大阪日本民芸館に行ったあと調べたのですが、スリップウエアの定義はいろいろあって広く見ると、細かいクリーム状の粘土で出来た化粧土(スリップ)をかけて装飾した陶器は、すべてスリップウエアとよぶこともできるようです。
こうした陶器は、ふるくメソポタミアの頃にすでにこの手法が見られ、現代まで続いているのですが、日本の民藝運動に大きな刺激を与えたスリップウエアは、イギリスの無名の陶工たちが日用雑貨として作ったものです。
イギリスでは価値を認められなかったこのスリップウエアのすばらしさを世の中に紹介し認めさせたのは日本の人たちでした。
この発見には、柳宗悦、富本憲吉、バーナード・リ−チ、この大阪日本民芸館の初代館長を努めた濱田庄司、河合寛次郎など多くの人がかかわっています。


以下の画像は大阪日本民芸館のものではなく『英国の古陶ースリップウェアの美』
のホームページ( http://www.slipware.jp/)から転載したものです。

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日本民藝館
角皿 径39.5、横46.3、高8.2糎 
英国の古陶ースリップウエアの美
のホームページより転載

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丸皿 径29.0、高5.0糎
英国の古陶ースリップウエアの美
のホームページより転載

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日本民藝館
角皿 縦300、横33.3、高6.4糎 
英国の古陶ースリップウエアの美
のホームページより転載

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日本民藝館
手付水注 最大径17.5、高16.5糎 
英国の古陶ースリップウエアの美
のホームページより転載

日本の陶磁

この民芸館には初代館長を務めた濱田庄司の作品を初め、富本憲吉、バーナード・リーチなど、そうそうたる作家の作品が数多く所蔵されており、訪れたときも濱田庄司の作品が集中的に展示されていた。

日本の民衆衣類と雑器