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今回の美術館めぐりは2月22日に金沢の美術館へ行くことになり、北陸の真冬でもあり、かなり寒いと覚悟してでかけた。
しかし、この土地のこの季節としてはめずらしく天気がよく、また今年は記録的な暖冬であったこともあって、春のように日差しの暖かい絶好の日和であった。
成巽閣は下の説明書きの写真にあるように、文久3年(1863)加賀藩主前田斉泰公が母堂真龍院の隠居所として、兼六園内の竹沢御殿跡に造営されたもので、金沢城から見て”巽”辰巳の方角にあるとして、当初は巽新殿と名付けられ、明治7年(1874)兼六園が一般に公開されたときに、成巽閣と改称されたとのことである。
成巽閣は江戸時代の武家書院造りの遺構としては類例がないものと高く評価されており、昭和13年建物の大部分が国宝建造物(旧国宝)に指定されたが、昭和25年文化財保護法の制定により、現在は国の重要文化財に指定されている。
当日は特別展として
前田家伝来
雛人形雛道具特別展が開かれていた。
例年成巽閣の雛人形の展示は、数多く所蔵する雛人形を一部づつ展示してきたそうであるが、今年は出来るだけ多くのものをまとめて展示したとのことである。
建物も展示品もさすが百二十万石の大大名の奥方御殿と思わせるものばかりで、雛道具などは小さくて精巧な漆細工、陶器、ギヤマン金工品などは他では見ることの出来ないものであった。


特別展のパンフレット

入口
兼六園の一画にある

上記入口から玄関方向を見る
庭の木の陰に鳴っている

玄関

成巽閣の沿革

庭と玄関の俯瞰写真

謁見の間

群青書見の間(二階)

次郎左衛門雛1対
重要文化財

次郎左衛門雛 雌雛

次郎左衛門雛 雄雛
上の雛について拝観の時にいただいた説明書きには次のように書かれて
います。
成巽閣に遺されている前田家の雛人形のなかで最も大きく、かつ
古い部類に属します。(250年位前)宝暦の頃、(1751〜1854)
次郎左衛門雛は完成したと伝えられていますが、それでもお顔、
体つき。衣装など製作者、時代を反映してか微妙に異なります。
このお人形1対は、広間の真龍院所縁の雛とは異なり、由来書に
よってその来歴を伝えています。そこには前田家五代綱紀、側室
預玄院(六代生母1668〜1765)から十代重教、正室寿光院(1745
〜1802)そして側室青操院(世子生母1760〜1832)を経て十二代
斉広、正室眞龍院(1787〜1870)に伝えられたとあります。
このようにひとつの雛が、代々大切に受け継がれると言うことは
極めて珍しく、奥方たちによって込められた特別の意味を考え
させられます。

雛壇飾り 重要文化財

梨子地梅鉢紋唐草蒔絵雛道具
三棚 重要文化財

梨子地梅鉢紋唐草蒔絵雛道具
化粧道具 重要文化財

貝合わせ 重要文化財

梨子地梅鉢紋唐草蒔絵雛道具
御輿 重要文化財

不室屋と近江町市場ほか

昼食は金沢城から少し離れた麩の専門店『不室屋』で『
如月
麩久箱膳』をいただいた。


不室屋入口

治部煮

面を売り物にするめんやがあった

同左

古いお医者さんの家だったとのこと
細部になかなか凝っている

見かけた味噌屋(?)さん
創業文化拾X年とある

近江町市場
大変広くにぎやかで
もっと見たかった

ずわいがにが沢山うられている

同上