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この美術館は昭和41年に本館が完成し、東山魁夷画伯の絵の寄贈を受けて平成2年には東山魁夷館が開館しています。
本館の建物は日建設計(当時は日建設計工務)の林昌二氏によるものですし、東山魁夷館は有名な谷口吉生氏によるもので建物自体にも見る価値があります。
この美術館には信州にゆかりのある画家たちの作品がおおく収蔵されています、東山魁夷も信州の出身ではありませんが、画学生の頃よく訪ねたこの地で受けた感銘が、画家としての出発点の一つとなったとして第二の故郷とも思われたようで、おおくの作品を寄贈されたようです。
訪問した時は没後50記念年ということで菊池契月展ー信州が生んだ京都画壇の煌きが開かれていた。
菊池契月は長野県中野市(旧下高井郡中野町)で出生まれ、郷里で南画家について学んだ後、京都に出て四条派の菊池芳文のもとで修行して頭角をあらわし、京都画壇をリードする存在となり、その後、京都絵画専門学校長をつとめるなどし、京都名誉市民の称号も与えられた画家です。
その作品は下の画像のように日本画らしい繊細で美しいものが多く見られます。
日本画の詳しい知識のない私には分かりませんが、京都へ出てしばらくしてから四条派に飽き足らず、もっと自由な表現方法に移っていったようです、
展示してある絵の説明に四条派の太い輪郭線とはことなりかなり細い輪郭線のものが示されていましたが、こんなところも一例であろうと思いました。


入館券

正面横 信濃美術館とある

全景
白い三角の左がエントランス

少女 昭和7年
京都市美術館蔵

寂光院 明治35年
長野県信濃美術館蔵

南波照間 昭和3年
京都市美術館蔵

立女 大正13年
長野県信濃美術館蔵

桜 昭和4年
京都国立近代美術館蔵

敦盛 昭和2年
京都市美術館蔵

東山魁夷館


この館は、東山魁夷画伯から寄贈された作品約900点と関係図書数百冊で出来ているとの事です。
建物も谷口吉生氏の設計によるもので、コンパクトなこの美術館にふさわしい軽快で明るい雰囲気の建物です。
下右のパネルは開館時東山画伯から寄せられた言葉で、次のように書かれています。
               「東山魁夷館に寄せて」
私が始めて信州に旅したのは、今から66年前の大正15年夏のことでした。当時、東京美術学校日本画科の1年生だった私は、友人と三人と木曽川沿いに天幕を背負って、10日間の徒歩旅行をし御嶽へ登りました。横浜で生まれ神戸で少年期を過ごした私は、初めて接した山国の自然の厳しさに強い感動を受けるとともに、そこに住む素朴な人々の心の温かさに触れることが出来たのです。(中略)
この旅はその時は気付きませんでしたが、私に大きな影響を与えたものであることが、ずっと後になり分かったのです。それ以来、山国へよく旅をするようになり、信濃路の自然を描くことが多くなりました。そして、風景画家として一筋の道を歩いてきました。いつに間にか私も年を重ね、子供がいませんので今の内に、自家所有の作品などの処置について、真剣に考えねばならない時期になりました。いろいろ考えました末に、私の作品を育ててくれた故郷ともいえる長野県にお願いしたいと決心したのです。甚だ唐突なことのようですが、私の心の中で長い間に結ばれてきた信州の豊かな自然との強い絆が今日のような結果となったわけです。
長野県では私の身勝手な願いを快くお聞き届けになり、このように立派な館を建てて戴き、誠に御礼の申し上げようも無いことと、心から感謝している次第です。
  平成2(1990)年4月
                                    東山魁夷

入り口

上記の銘盤

池側の出入り口

池の手前より

水辺の朝 1972年
長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵

緑響く 1982年
長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵

白馬の森 1972年
長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵

白馬亭(スケッチ) 1969年
長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵

善光寺と萬佳亭


善光寺では丁度三門の保存修理中で、三門全体が素屋根に覆われていて見ることが出来なかった。
写真でも分かる通り大変大きな工事で、善光寺の現在最大のイベントのようである。
工事内容、進捗状況などは善光寺のホームページ(http://www.zenkoji.jp)に詳しい。

本堂正面

本堂側面

保存修理中の三門についての説明

同左 図面

素屋根に覆われた三門全景

三門近くから仁王門を望む
手前は仲見世

同左

信濃美術館近くから膳光寺を望む
上から見ると屋根はT字型らしい

昼食を頂いた萬佳亭

器も美しい

おいしい食事であった