この「信濃デッサン館」は、窪島誠一郎氏が個人的に収集してきた、村山槐多、関根正二、松本竣介、靉光、など「夭折の画家」といわれる画家たちの作品を、もっと多くの人々に見てもらおうとして1979年に設立された小さな美術館です。
その後、1997年に姉妹館の「無言館−戦没画学生慰霊美術館−」を開館したが、この美術館は東京美術学校(現在の東京芸術大)出身で、自身も旧満州に出征しながら病気のため帰還した画家、野見山暁治さんと、窪島さんが開館2年半ほど前から戦死した同級生、先輩後輩の遺族や親縁者宅を訪ね歩き、画学生の絵を集めて開館しました。
ここには、戦没画学生の描いた絵の他、野見山暁治さんの絵も展示されており、また第二次世界大戦中、志半ばで戦死した画学生たちの遺作やイーゼルなどの愛用品も展示しています。
さらに、2008年には戦没画学生の遺族などからの寄贈などで所蔵する絵などが増加し、展示スペースが足りなくなってきたこともあって、無言館の第2展示館「傷ついた画布のドーム・オリーヴの読書館」が開館されました。
無言館は、入館者も順調で、全国巡回展示なども行うことで美術館の経営としても順調でしたが、デッサン館は無言館開館の時期から入館者が激減し、経営的に成り立たなくなってきたため一時閉館されました。
しかし、全国から開館を継続してほしいという多数の手紙とともに、寄付金も寄せられたため、閉鎖方針を撤回し、デッサン館開館後初めて全面的に改修し展示スペースも拡張された。
私が訪れた時にはもう改修されておりかなり多くの入館者もあった。
この時には、信濃デッサン館の敷地にある槐多庵という建物で窪島誠一郎氏のお話もあった。
話はデッサン館、無言館の開館の経緯、野見山暁治さんと戦没画学生の絵をあつめて回ったことなどでしたが、話の様子では初めは二人で集めたが途中からは、ほとんど窪島さんが全国を回られたようです。
また現在もデッサン館の経営は厳しいようで、窪島さんの著書の購入など資金的な協力を要請されていました。
このあたりの経緯は上田市のホームページに書かれています。
デッサン館内では若くして他界した画家たちの絵に、どのように思いでこれを描いたのか、もっと長生きしたらどんな人生を生きた人だろうか、など考えさせられ、普通の美術館で感じる感慨とは違うものを感じました。
また、無言館では画学生として絵に打ち込み、戦争の中で命を失うとは思わないで一心に描いた絵に、本人と遺族の無念を感じましたが、こう感じて鑑賞することについて、窪島さんは下記の大阪ボランティア協会が発行する 市民活動総合情報誌のサイトのインタビューの中であまり歓迎されていないような話をされています。
窪島誠一郎氏について
窪山誠一郎氏は1941年、東京都生まれ。飲食店、小劇場、画廊経営など多彩な経歴を持つ。76年、戦争で生き別れになっていた実父・水上勉氏との劇的な再会で話題となった。
講演、執筆など、幅広く活動している。著書『父への手紙』『信濃デッサン館日記』『わが愛する夭折画家たち』『無言館ものがたり』『「明大前」物語』『京の祈り絵・祈りびと』『「無言館」の青春』『絵を見るヒント』など多数。
「無言館」の活動により第53回菊池寛賞を受賞。
大阪ボランティア協会が発行する 市民活動総合情報誌のサイトに、窪山誠一郎氏のインタビュー記事が載っている.
(第2展示館が完成する前の2005年のインタビューです)
http://www.osakavol.org/volo/volo2005/volo4066.html
《2020年8月5日追記》
2020年8月この美術館の現状を調べてみると、かなり状況が変わっていました。
無言館の運営は順調でしたがデッサン館は以前からの入場者の減少が続き、経営が困難となり、館主の窪島誠一郎氏の病もあって、2018年3月15日無期限休館となり、コレクションは長野県信濃美術館に移譲されました。(一部は有償で長野県に売却されたようです)
今年2020年6月6日名称を『KAITA EPITAPH残照館』として再開館されています。
収蔵品は信濃美術館に移譲されたようなので、現在の展示品については分かりません。
この経緯を見ていると私設の美術館の安定的な運営が困難なのがよく分かります。
雰囲気があるデッサン入口 |
同左 |
デッサン館から 無言館・第二展示館への道標 |
無言館 |
同左 |
無言館の庭にある 戦没画学生の名前を記載した 石造りの「記憶のパレット」 |
同右上 |
無言館内部 |
「記憶のパレット」のある庭 |
傷ついた画布のドーム ・オリーヴの読書館 |
デッサン館から無言館への 道からの景観 |
信濃デッサン館の別館 槐多庵 |
昼食はおなじ上田市にある信州国際音楽村の中にある壺屋でとった。
食後音楽村の中を散策したが、この日はイベントなどが何も開かれておらず閑散としていた。
音楽村全体ではかなり広い敷地であるが地方の小都市でこういった施設を維持して行くのはそうとう大変なことだろうと思った。
ホールこだま |
ホールこだま |
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パノラマステージひびき |
ホールこだま |
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昼食をとった音楽村の中にある 壺屋の案内看板 |
壺屋側から見た案内看板 |
壺屋にあった木製の犬の彫刻 |
食器はすべて特製で 模様が一枚一枚違っていた |