スペインへは特に美術館を見ようということではなく、普通の観光ツアーに参加してでかけた。 それでも、いくつかの美術館を見ることが出来た。 ただ残念だったのは、館内では写真がほとんど撮れなかったことである。 以前スペインを観光した人から、各美術館にはすばらしい作品が多くあって、そのすぐそばまで近づいて鑑賞できると聞き、また写真撮影も自由とのことで、ピカソのゲルニカの前で撮った写真も見せてもらっていた。 しかし実際言って見ると、とくにプラド美術館では、小さな荷物を1つしか持って入れず、その小さな荷物も飛行場の手荷物検査のようにX線装置を通して確認された。 勿論、写真撮影は禁止であった。 その厳重さからみると日本での禁止理由と違ってテロの警戒のためであろうと思われた。 スペインのとくにマドリッドの治安は年々悪化して、ヨーロッパではもっとも悪い都市となっているとのことなので、厳重な警戒もやむをえないのかなと思う。 こんなことで一部を除いて作品の写真がほとんどないので、美術館近辺の写真を含めて動画風のPHOTO STORYにまとめた。 各美術館の写真をクリックするとPHOTO STORYがスタートします。 BGMも入れてあるのでスピーカーをオンにしてください。 |
プラド美術館は、日本でそのコレクションの展覧会が開催されたことのあるルーブル、オルセー、 エルミタージュ、メトロポリタンなどと並ぶ超一流の世界的美術館です。 プラド美術館はスペインの首都・マドリードにあり、1819年に王立絵画彫刻美術館として開館、現在は歴代スペイン王室のコレクションを中心にした所蔵品で世界的に有名な美術館です。 美術館は、フアン・デ・ビリャヌエバが博物館として設計、1780年に建設された新古典主義様式の建物で、1971年に隣接するカソン・デル・ブエン・レティーロ宮内に19世紀館が設立されました。 ハプスブルクとブルボンのふたつのスペイン王朝の宮廷は、ベラスケスやゴヤらを宮廷画家として遇したばかりでなく、ヨーロッパ各地から画家を招いたり、作品収集のために使節を派遣したりしていました。 特 色 15世紀以降のスペイン王家によって収集された、イタリア・ルネサンス、北ヨーロッパ、スペイン宮廷画家などの絵画などをもとに、1819年フェルナンド7世が開設。 スペインの絵画史をたどるコレクションの中でも、特にグレコ、ベラスケス、ゴヤについては生涯を網羅しています。 ブリューゲル、ティツィアーノ、ティントレット、ルーベンスら、フランドル絵画やベネチア派などのイタリア絵画の収集で一級のコレクションを誇っています。 スペインのプラド美術館は、歴代スペイン王室のコレクションをベースにしたぼう大な所蔵品で知られます。 とりわけ有名なのが、スペインの「黄金世紀」といわれる16世紀後半から17世紀、さらに、18世紀にいたるスぺイン、イタリア、フランドルの絵画のコレクションです。 昨年、大阪市立美術館で『プラド美術館展』を見たが、この時は81点の作品が展示されていた。 81点でも丁寧に鑑賞するとたいへんな量で、本当にくたびれたが、本家のプラド美術館の展示量はとてもこんなものではなくまさに厖大であった。 大阪で見た作品も良く似た作品が多く、確認できたのはベラスケスの『道化 ディエゴ・デ・アセド』 くらいであった。 |
ソフィア王妃芸術センターは、18世紀半ばに病院として建てられた建物の中にあり、現代美術の名品を所蔵している。 ピカソの超有名な「ゲルニカ」は、館内の特別展示エリアに展示されている。 ダリ、サウラ、タピエス、チリダ、ミロ、グリス、そして、スペイン以外のアーティストとしては、ベーコン、ル・コブルシエ、リプチッツ、 エルンスト、シュナーベル、ジュッド、ブルース・ノーマンなどなどの作品も展示しているが、時間がなく、ダリ、ミロくらいしか印象に残っていない。 この美術館の超目玉はなんといってもピカソのゲルニカである。 スペイン内戦の最中の1937年4月26日、スペインのバスク国の小都市・ゲルニカが、フランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けた。 これが史上初めての都市無差別空爆と言われている。 滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として、急遽ゲルニカを主題にこの作品に取り組み、6月4日には完成させる。 スペイン内戦はフランコ将軍の勝利により終結し、この絵はロンドンなどを巡回したのちにヨーロッパの戦火を避け、1939年、米国に渡り、ニューヨーク近代美術館に預けられる。 第二次世界大戦後もフランコ将軍の政権下にあったスペイン政府はこの絵の返還を求めるが、スペインに自由が戻るまでこの絵を戻すことはないと、ピカソは拒否した。 ピカソは1973年この世を去り、またフランコ将軍も1975年に没し、政体の代わったスペインとニューヨーク近代美術館との間に、この絵の返還交渉が再び始まり、1981年になってようやくスペインに返還された。 |
トレドのカテドラルは、13世紀、フェルナンド3世時代に着工、15世紀に完成したゴシック様式のスペイン・カトリックの総本山です。 中央礼拝堂、(Capilla Mayor)の祭壇の彩色彫刻が一段と人目をひき、中央をぐるりと囲むように22の礼拝堂がそれぞれ美しさをきそうように並んでいます。 陽光にはえるステンドグラスは、15〜16世紀のものです。 聖具室(Sacristia)の大天井は、ルーカ・ジョルダノによるフレスコ画ですが、ここと次の間は、絵画館になっていて、グレコの傑作「聖衣剥奪」をはじめ、 ゴヤ、ヴァン・ダイク、ルーベンス等の作品があります。 ここはストロボを使わなければ写真撮影が自由に出来ました。 中央礼拝堂の後には、「トランスパレンテ」と呼ぶ大理石のバロック調の彫刻群があり、ここだけはちょうど外からの光を取りこむようになっているため、 大理石の無数の天使は、まるで躍動しているようにみえます。 宝物室には、金銀の財宝が陳列されていますが、その中でも、高さ3メートル重さ180キロもある16世紀の「アルフェの聖体顕示台」は、 年に1回だけ、聖体祭の折に戸外へ持ち出され、聖行列に花をそえます。 |
スペインの繁栄を頂点に導いたフェリペ2世から同3世、4世に至る「三フェリペの100年間」(1556〜1665)は、スペインの「黄金の世紀」といわれる。 アメリカ大陸に進出し、大量の銀を持ち帰り、ベラスケス、エル・グレコが不朽の名画を描き、スペイン語は世界語となりました。 そのフェリペ2世が手掛けたのが、マドリッドの南に建つアランフェスの離宮である。 荒涼たるカスティーリャ地方の中部に優雅なたたずまいをみせるオアシスのような街。 フェリペ2世の命により、サン・ロレンソ修道院を造営した建築技師たちによって1561年に造られました。 現在の建物は1778年に修復されたもので、バロックが調和されたルネサンス様式の建築物。 カルロス3世の命により造られた。 「陶器の間」がみもの。その他アルハンブラの「2姉妹の間」を模した「アラビアの間」「鏡の間」「王座の間」も興味深い。歴代王室の衣装博物館もある。 宮殿に隣接している「島の庭園」は優雅なフランス庭園。 |
16世紀の宮殿を改装したこの美術館には、絵画、彫刻、陶器など約150点を常設展示している。ピカソの息子ポール氏の妻クリスチーヌさんらから寄贈された作品がコレクションの核となっている。 マラガ・ピカソ美術館は、2003年にオープンし、その建物は国の文化財であるブエナビスタ伯爵邸を使用しています。年代別に学生時代〜晩年までの作品が紹介されており、絵だけでなく彫刻、陶芸まで展示されています。 ここに所蔵されているものは晩年のものがほとんどで、青年期のものはないようです。 |
バルセロナはスペインの中でも 最も立派な街で、 首都マドリードより充実しています。 ガウデイの建築が 見なおされて以来、マドリードに行かなくともバルセロナだけを 観光するツアーまであるようです。 建物は13世紀に建てられた 貴族の館。 アギラール館と呼ばれ、その後18世紀にアステル男爵に よりネオクラシック様式が取り入れられたのですが、1930年に保存が 決まり、1953年以降美術館建設の為に市の所有となりました。 ピカソと親交のあったサバルテスが全作品を寄贈し、1963年に開館との こと。 詩人のハイメ=サバルテスは ピカソがバルセロナで過ごした 14歳から23歳までの多感な青年期に知り合った親友です。 本人からの寄贈もあり、現在 全作品は3500点あり、 名もない時代から 晩年の作品までありますが、やはり 初期の 作品、 青年時代の最も純粋な頃の作品がある2階の展示が素晴らしかった。 そして 15歳の彼がもう何でも描ける一流画家であったことがよくわかりました。 青の時代作品を生み出すまでの 数々のデッサン、練習帳、などによっても ピカソという画家の基本に触れることができます。 貴重な青の時代の作品は勿論素晴らしいの一言です。 なかでも、興味を持って鑑賞できたのは、ベラスケスの最高傑作「ラスメニーナス」 のアレンジ作品58点がです。 見るものが多すぎて、あまり良く見ることが出来ませんでしたが、 陶器のコーナーもなかなかの作品が並んでいます。 最後の部屋にある晩年の作品群は、 最後に到達した「自由の境地」 という感じが出ています。 |