飛騨高山美術館へ千 光 寺 へ

 美術館めぐりで高山に行ったとき、最初に食事を『平野屋』でとって、そのあとすぐ近くにある陣屋を見学し、 続けて高山の中心街を散策してまわった。
 『平野屋』はきれいなところで食事もまずまずで、そのときは満足したが、帰ってきてから知り合いに話したところ、 高山ではなんと言っても『州さき』が一番との事、またテレビのドラマでも、高山の紹介番組でも『州さき』が出ていて、 やはりこちらが一番らしいと分かり、折角行ったのだから『州さき』に行けばよかったと残念に思っています。

 陣屋は江戸時代、幕府の直轄地であった飛騨を支配した代官・郡代が執務した役所で、ここには代官の住んだ屋敷も残っています。
 明治維新後は、おもな建物は地方官庁として使われましたが、昭和44年飛騨県事務所が移転し、元禄8年からの役所としての 歴史をとじました。
 これを機に、岐阜県教育委員会が、全国でただ一つ残る徳川幕府郡代所を保存するため、復元修理を行って、江戸時代の 高山陣屋の姿をよみがえらせたものです。
役所も屋敷も大変広くこのような地方の代官でも大きな権力を持っていたことが分かります。
でも幕末から明治維新にかけてこの地に派遣されてきた代官が、混乱の時代の中で、この地の発展のために悪戦苦闘した様子が、残っている公式文書、 手紙、写真と年表、解説等でよくわかり、感動させられます。

 ここを見ることは最初の予定には入れてなかったので、あまり期待しないで見学しましたが、陳列されている文書、器具類、 写真などなど興味をそそられるものが多く、もっと時間をかけて見たいと思ったおすすめの場所です。。

 高山の町は『小京都』と紹介されることが良くありますが、まさにその通りでした。
 わたくしのこのホームページの『京の風情』というページ(上の陶板名画の庭、または京都文博からはいれます)のとき 見てまわった京都の町景色と本当に良く似ていました。
(写真はいずれもクリックすると大きくなります)

高山陣屋


高山陣屋正面

復元修理に使った平面図

蔵の中 右上の図面のように一番
蔵から十二番蔵まである

内部は大部分各種の資料が陳列
されており、一部に当時のように米
俵が入っていた

蔵の中

鬼板

杮葺


高山の町


右の写真の橋の向こうにある
案内標識

高山陣屋の前の宮川にかかる中橋

漬物屋さん

人力車 風情はあるが
少し高いかも?

上一之町から上三之町界隈

上一之町から上三之町界隈

上一之町から上三之町界隈

上一之町から上三之町界隈
酒屋の杉だま

上一之町から上三之町界隈

上之町と下之町の間の道?

上一之町から上三之町界隈

上一之町から上三之町界隈