奈良から東京に引っ越してから29年、この間平城宮の近くを車、電車で通ったことは何度もあるが、宮跡に入ったことはなかった。 久し振りで宮跡に入ってまず感じたのは、
木々が大きくなったことと、空地ばかりだった昔と違っていろいろな施設が出来ていることでした。
朱雀門は電車の中などから見ていたが、第一次大極殿、平城宮跡資料館、平城宮東院庭園などは見たことがなかった。 また昔は雑草の草原が広がっていたが全体に整備が進んで
まとまった遺跡らしくなっていました。
最初に平城宮跡資料館に入った。
ここでは、発掘調査の状況から発掘によって分かった当時の仕事、庶民の生活などの様子が各種の発掘品とその再現品を展示し、ビデオでも見せて分かりやすく見ることが出来るようになっていました。
次に最近完成したばかりの第一次大極殿を見た。
大変大きく立派な建物で千数百年前にこのような建物を作ったのには驚きます。
平城京遷都後、平安京に遷るまでの84年の間に7回遷都しているが、遷都のたびにこのような建物をたくさん造り、それを放棄して他に遷ることを繰り返したら財政的な負担は極めて大きかっただろうと思います。
大極殿、朱雀門の再建に当たっては、残っている基壇、礎石などから建物の平面図はほぼわかると思いますが、木組みなど立体的な構造を知ることはなかなか難しいので、現存する当時の建物、例えば法隆寺の金堂、五重塔、薬師寺の五重塔などを参考にして考えたらしい。 しかし大変巨大な木造建築なので、それだけでは部材にかかる荷重が大きくなりすぎることもあって、いろいろ工夫がされているようです。
また、下の写真のなかに説明パネルがあるが、この建物は地下にリニアスライダー、積層ゴム、粘性体ダンパーの組み合わせからなる免震装置が組み込まれており地震に強くなっている。
またこの装置を設置することにより古代の構造の巨大建造物の安全を維持できるとのことです。
久し振りにこのすぐ近くのある、磐之媛命陵、日葉酢媛命陵、成務天皇陵、称徳天皇陵を見たいと思ったし、平城天皇陵も見たことがないので見たいと思っていましたが、時間がなく見ることができませんでした。
今回は大勢で行ったため 自由行動が出来ず残念だったので、また機会を作ってここだけなく奈良と大阪の古墳めぐりをしたいと思っています。
平城宮製資料館 |
同左 |
案内・説明をいただいた ボランティアガイドの福田さん |
発掘調査の方法・状況の説明 |
平城宮全体のミニチュア |
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当時の役人の仕事場 |
机・椅子と木簡など |
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平城宮内に住んだ人は 一万人位だったらしい |
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食事 |
遊び |
寝室 |
まじない |
国際交流図 |
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資料館から大極殿へ |
大極殿側面 |
大極殿全景 |
免震の説明 |
内部の奈良時代の説明パネル 大極殿の概要 |
大極殿での営み |
国家儀式 |
発掘調査 |
身舎天井版(真上) と支輪板(周囲) ここをクリックすると支輪板に 描かれた絵が見えます |
ここをクリックすると身舎天井板に 描かれた絵が見えます |
身舎天井板と支輪板の彩色画 |
大極殿から朱雀門を望む |
高御座(たかみくら) |
大棟中央飾り 説明パネル部をクリックすると 拡大表示されます |
平城宮北方向 右の森が市庭古墳(平城天皇陵) |
若草山山頂から見た平城宮跡 左右両端の方に朱雀門と大極殿が 中央手前に東院庭園が見える |
平城宮パンフレット表面 クリックすると地図部分が拡大表示されます |
平城宮パンフレット裏面 各項目をはクリックすると拡大表示されます |
国宝館にまず入ったが5年前に行った時とほとんど変わりなかった。
内部の仏像などの写真はその時のページ(クリックするとそのページを表示します)にあるので今回は載せていません。
大きく変わっていたのは境内の様子で、昔の広々して明るい気持ちのよい境内ではなく、雑然としていてあの良い雰囲気がなくなっていました。
現在は工事中なのも一因ですが、下の写真にある境内整備計画が完成したら、もっと建物の込みあった全く別の寺になったようになる思います
国宝館 |
南円堂 手前に中門基壇と 思われるものが見える |
東金堂 |
東金堂と五重塔 左右に基壇が見える |
境内整備計画 |
中金堂の完成予想図 |
建設中の中金堂の覆屋 |
若草山には、”やまとはくにのまほろばたたなづくあおがきやまごもれるやまとしうるわし”を実感するため、山頂からの奈良盆地の眺望を見ることと、山頂にある鶯塚古墳を見るために行った。
好天で素晴らしい眺望だったし、すぐ前に行った平城宮がよく見えました。
30年前には平城宮の整備が進んでいなかったので山頂から見てもどこにあるのかよく分かりませんでした。
鶯塚古墳は江戸時代頃には仁徳皇后の磐之媛命陵とされていたようですが、明治になって平城宮の近くのヒシアゲ古墳が磐之媛陵とされ、現在ここは宮内庁の管理下にはないようです。
そのため前方後円墳の円墳部の頂上に登れます。
古代の天皇陵は現在比定されている天皇と陵とが本当に正しいか不確実なものがほとんどのようで、有名な仁徳天皇陵も応神天皇陵もはっきりしないそうです。
バスを止めた駐車場から 頂上まで約300m |
鶯塚古墳 |
奈良市街と生駒山の眺望 |
頂上の石碑(中央)と三角点(右端) |
頂上から展望台方向を見る |