ここしばらくコロナのため出歩きませんでしたが、近くの松坂屋美術館でこの展覧会が開催されると聞き行ってきました。
古代の美術品の復元品、複製品などはかなり見る機会が多く、 法隆寺にある玉虫厨子は何台か作成され、その評価も高いようです。
正倉院の御物の復元品も何度か見たことがあるように思います。
宇治の平等院の飛天などの荘厳品の復元品も見た記憶があります。
なお、美術品とは言えませんが、復元再建された奈良の平城宮の第二次大極殿・朱雀門の本体とと内部などは色々な面で調査の上、建設・製作されたものと思います。
勿論、現物が存在しませんので復元でもなく、複製でもありませんが見てその精巧さに感嘆しました。
古代ではありませんが、復元された名古屋城の本丸御殿も素晴らしいものでした。
このように多くある復元品・複製品の中でも、やはり正倉院宝物は世界的な名品ばかりですし、国の威信をかけて調査し、選りすぐりの名工によって製作された模造品ですからその出来栄えぼ比類がありません。
いつものように写真は撮れませんでしたので、絵葉書とパンフレットの画像だけですがその素晴らしさはよくわかると思います。
御物の模造品は明治の初めころから製作され始めたようですが、初めは見た目・外観をその御物が製作された時と同じに製作するというコンセプトで始まったようです。
しかし、昭和47年、宮内庁正倉院事務所により、宝物の万一の場合に備えての危機管理や技術継承などを目的として外見を似せるだけでなく、同じ構造・材料・技法により、限りなくオリジナルに近い「再現模造」を製作することにしたそうです。
ただ、昭和47年以前でも製作者によっては見えない部分も含めてすべて御物の製作当時を再現するという考えで製作され物もあったようです。
いずれにしろ、治承4年(1180年)平家の南都焼討で東大寺の主な堂宇が焼失した中、奇跡的に正倉院が焼け残り、その後も永禄10年(1567年)の戦火でも再建された大仏殿が焼失してしまっています。
またいつ頃のことか分かりませんが昔、奈良の治安が良くなかったころ正倉院の床下で盗賊か浮浪者が焚火をした跡が床板に残っているそうです。
1300年もの永い間木造の建物の中の宝物が無事であったことは本当に天祐と言えると思います。
今後も大切に守ってゆきたいものです。
奈良時代には現在のように高度な加工を施した品物が少なかったでしょうから、当時の人々にとってはすべて目を見張るようなものばかりだったと思います。
展示室内にあった主催者の挨拶文 主催:宮内庁正倉院事務所、松坂屋美術館、朝日新聞社、NHK名古屋放送局 |
パンフレット表 いくつかの画像はクリックすると拡大表示されます。 |
パンフレット裏 いくつかの画像はクリックすると拡大表示されます。 |
松坂屋美術館 |
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初期の模造製作の状況 |
比較的最近の 模造製作の状況 |
今回展示された 正倉院宝物模造作品 1 |
今回展示された 正倉院宝物模造作品 2 |
今回展示された 正倉院宝物模造作品 3 |
今回展示された 正倉院宝物模造作品 4 |